メディアは今 何を問われているか
ミャンマー・中国の災害救助に自衛隊の派遣検討を
―日本が先頭に立つべきアジアの共生モデルの創造―
日本政府は、サイクロンの被害を受けたミャンマーと、四川省が巨大地震に見舞われた中国に、災害救済支援のために資金 ・ 物品を送る方針を決め、
実施に移しつつある。だが、現地の被災住民の悲惨な状況が伝えられるのをみるにつけ、こういうときこそ日本は、
災害救援隊として自衛隊を派遣してもいいのではないか、と思う。
自衛隊は、戦争の仕方は、憲法で禁じられていることでもあり、経験がなく、うまくないだろうが、日本は地震国であり、台風災害にも頻繁に見舞われているため、
これらの災害救援 ・ 復旧支援には、たくさんの経験を積んでおり、高い能力をもっている。
相手政府と話しがついて、優秀な機械装備を運び込み、機動力を発揮して、重要な初期救援を手伝えば、なによりも現地住民に喜ばれ、
国際貢献に資すべき自衛隊として、大いに面目を施すことになるのではないか。
先例もある。2005年12月、スマトラ沖の大地震が起こり、インド洋津波が沿岸各国に大災害を及ぼしたとき、
1,000人近い規模の陸海空の自衛隊が国際救助隊として現地に赴き、被災者救出 ・ 救命 ・ 防疫、2次災害防止 ・ 道路復旧 ・ 飲料水確保などの支援活動で成果を挙げ、
現地住民から感謝されている。こうした記憶を想起できれば、日本の国民も、拍手をもって災害救援に向かう自衛隊員を、送り出すはずだ。
ミャンマーについていえば、アウンサン・スーチーさんの軟禁をつづけ、軍による政権維持に汲々としてきた政府は、
そのことを日ごろ非難してきた国際機関が救援を口実に国内に入ってきて、政治的な問題についても介入するのを嫌い、
救援物資はもらうが外国の救援組織は入れないとする、頑なな態度をみせている。
欧米諸国はかねてから軍事政権を批判し、民主化・人権尊重を求めてきた。
これに比べると日本は、ミャンマーに多額の政府開発援助を供与しつづけており、ミャンマー政府に対して融和的だった。
援助資金に基づく開発事業は、日本企業がその多くを請け負う関係もあり、日本は相手政権の非を咎めるより、妥協的に振る舞わざるを得ない、というのが実情だった。
欧米の人権派は、日本のこうした態度にも、批判を加えてきた。しかし、いまはその是非を論じている余裕はない。
熱帯の直射日光、雨風にさらされ、飲料水にもこと欠き、多くの人が飢餓と悪疫の蔓延に直面している。
人権派諸国の救援組織の入国 ・ 駐留は毛嫌いするミャンマー政府も、日本の自衛隊なら受け入れるのではないか。
だめかもしれないが、ものは試しだ。日本政府は自衛隊の救援隊としての派遣を、相手国に至急申し出るべきではないのか。
中国についても同様のことがいえる。国難ともいうべき大地震に直面した中国政府の困惑の大きさは、5月13日現在ですでに、1万人をはるかに超す死者、
それを数倍も上回るだろう負傷者の発生が予想される状況の前で、いかばかりかと思われる。
住む家をなくした人びとの数は、想定さえできない。建物倒壊現場での救出作業の模様をテレビでみると、重機類はほとんどない。
大きな梁が落下し、崩れた壁 ・ 屋根の残骸が堆積する現場で、救出作業は人手だけに頼っている。
救出作業の陣頭指揮をとる温家宝首相の姿をみると、被害地域にはチベット族居住者も多く、これら住民により大きい被害が出たり、
その救出に後れをとったりすれば、また厄介な人権問題が国際的に噴出するおそれがあり、政府はそのことにも神経質になっているのではないか、と想像してしまう。
また、滅多なことでは弱音を吐かないだろうが、政府は、迫りくる北京オリンピックの開幕に、この事態がどのような影響を及ぼすことになるのかと、気を揉んでいるはずだ。
一致団結してオリンピックを成功させ、この国難を乗り切ろう、といいたいところだろうが、大勢の被災者を片隅に追いやったままでは、
人権を顧みない国という非難を、また主に欧米の人権派から浴びせられる心配がある。
だが、日本は、そうした非難を自分も受けることになるかもしれないが、この際は自衛隊を送って、
チベット族やそのほかの少数民族も含む被災者の救援、当面の復旧作業の迅速な達成に貢献し、
オリンピック開催の妨げとなる支障を取り除くことに協力すべきではないか、と思える。
迅速な行動、膨大な量の物資 ・ 機材 ・ 人員の運搬には、航空自衛隊の輸送機を何機も使う必要があるだろう。
しかし、ミャンマーも中国も、自国空軍の基地への自衛隊機の駐機、要員=自衛隊員の駐在は、軍事機密保持などの点から、
一定期間のことであっても、嫌うかもしれない。
中国の場合、奥深い内陸部の災害であり、自衛隊機の現地に対する発進と帰着が、日本の基地の利用だけに限られると、思うような行動がとれないおそれがある。
物資・機材は、場合によれば被災現場、ないしその最寄り地点に空中から投下、そのまま帰還する必要が生じるかもしれない。
これらの問題解決に関しては、ベトナム、タイ、台湾などの協力も仰ぎ、臨時的な支援基地を提供してもらう、などのことを検討する必要もあろう。
しかし、日本は、そのような行動をとる意思を明らかにし、アジアにおける災害救助の相互支援体制構築を具体的に提唱、
積極的にこれら近隣国にも協力を呼びかけていくべきではないか。
やれること、やるべきことは民間にもある。14日の報道 (朝日・朝刊) によると、JOC (日本オリンピック委員会) が、6月半ばに慈善ゴルフ大会を開催、
その収益を義援金として被災地に贈ることを決めた、ということだが、むしろJOCはただちに、中国、とくに四川省に進出している日本企業や、
新聞 ・ テレビなどのメディアの協力も仰ぎ、日本の国民に訴え、北京オリンピックを支援する趣旨で、被災者救援 ・ 被災地復旧支援の募金活動を行うべきではないか。
クーベルタンの近代五輪の理想は、国家を超えた友愛の普及にあったことを、いま思い起こす必要がある。
忘れてならないのは、このような具体的に役立つことをし、相手国の政府や国民の困難の解決に手を差し伸べながら、
私たちは同時に、政治の民主化、国民の人権の尊重を訴えていくこともできる、という点だ。
いや、苦労をともにし、大きな危難からの再起を一緒に体験する立場に身を置けばこそ、声高にならず、静かにそのことを訴えていけるのではないだろうか。
ふり返ってみれば、日本の過去は、人権大国であったとはとてもいえない。
現在でさえ日本は、高見に立って、人権擁護制度の劣った、社会的平等の行きわたらない国や人びとに対して、非難混じりに説教するような真似は、できるものではない。
市民革命を十分に経験した欧米諸国の人権観を猿真似し、そのままアジアで他国に説いてみせても、反発を招き、浮き上がるだけだ。
民主化の後れ、人権の未発達は、根深い貧困、全般的な教育水準の低さ、社会発展の不均等、伝統的な社会 ・ 文化習慣の継続、西欧型国民国家の未形成など、
アジア固有のさまざまな要因、それらの複合化した状況のなかで生まれ、あるいは固着しているもので、その発生源をなくしたり、残存物を解きほぐしたりするのには、
長い時間がかかる。大規模災害の救助相互支援というようなことは、口で民主化とか人権とかを、表立っていうものではないが、
実はそうした行動こそ、すべての国や人を大切に思いやる思想への信頼を喚起し、真の民主化、人権尊重へと近づく道に、確実に通じるものではないか。
アジアの問題は、アジア人同士が相談し、またお互いに協力し、アジアのなかで基本的に解決していく。
そのやり方を、アジアの恒久的な地域協力体制にすることができたら、アジアはその地域単位をもってグローバリズムに参加していく。
なにもかもを、西欧モデルに倣ってやっていくことは止める。日本はそろそろ、そういう考え方をアジアの国々に提案し、
まず東アジアの国々との地域協力を、根本から考え直していく必要があるのではないだろうか。
私たちは、西欧モデルへの到達を目指し、明治以来、近代化を進めてきたが、20世紀後半から21世紀初頭にかけて、その欠陥も明らかになってきたのではないか、と思う。
欧米諸国は、19世紀に近代国民国家を完成、国内には民主と人権の体制を築いたが、それによって強まった国力を帝国主義に振り向け、
植民地侵略を展開、後進国を経済的収奪の対象とし、そこでは政治的隷属を強いるために独裁体制を敷くのをつねとしてきた。
第2次大戦後もそうした2重基準は改まっていない。
端的にいって、ベトナム戦争、パレスチナ問題、イラン ・ イラク戦争、第1次湾岸戦争、旧ユーゴ解体の戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争の流れをふり返るとき、
それらに当事者として関わってきた欧米諸国が、他国に民主化と人権を求める資格が果たしてあるのかを、疑わせる。
日本も、西欧モデルの悪しき面を真似て、一時植民地主義に走った。だが、欧米主要国ほどの大規模かつ複雑な関わりにはいたらなかった。
欧米並みになれなかったことは、日本の失敗であるより、幸運だったというべきだろう。
きちんと歴史認識を改めさえすれば、一から出直し、かつて迷惑をかけた国とも付き合ってもらえるはずだからだ。
アジアにはアジアのよさがある。それは地球上の他の地域にはみられない固有の特色であるとともに、その個別性の保持と発展に成功すれば、
他の地域におけるそうした独自の特色の保持 ・ 発展に参考となるモデルが示せるという意味で、普遍性も獲得できるのではないか、と考えられる。
具体的なアジアの特色は、第1に民族の多元性と多様性である。各民族は固有の言語、生活風習、さらに宗教や文化伝統をもっている。
居住地域も多様であり、独自の自然環境、生態系に溶け込んだ暮らし方をしてきた。
このような民族は、近代的な集権国家の国民として生きてきた歴史をあまりもたず、逆にいえば、国境に関係なく生きてきた経験を豊富にもっているといえる。
国家に関係なく、他民族との共生を計ってきたのが、彼らだ。
そこでアジアの第2の特色として、欧米の近代国民国家モデルによらず、いかに独自の方式によって多民族共生の国家をつくっていくべきか、
とする問題が多くのアジアの国々に課せられているという事情が、明らかになってくる。
他民族共生の国家モデルが成功すれば、それは、単一の国民からなる国家同士の衝突を招きやすい西欧モデルの弱点を克服、異なる国家間の共生に道を開く、
近代を超えたモデルとなっていく可能性もある。
単一の国民からなる近代国家の競争は、止まらない戦争、工業への過大な依存による環境破壊、自由主義の名の下での国家間格差の拡大の放置など、
もうどうにもならないほどの行き詰まりさえ、みせるにいたっている。アジアでこれに代わるモデルが創造できれば、
それは中東で、アフリカで、中南米で、支持されるにちがいない。
自衛隊を、在日米軍再編促進に合わせ、日米軍事一体化の動きのなかに組み込むばかりが能ではない。
その流れのなかに自衛隊海外派遣恒久法が置かれることになれば、自衛隊は、アメリカの都合による世界的軍事戦略の発動に、
自動的に組み込まれていくことになり、憲法9条は雲散霧消してしまう。
反対に、アジア災害救助隊としての自衛隊のあり方、活動が、地域各国の政府や市民に認められ、高い評価を得るようになれば、
自衛隊はその行動によって憲法9条の意義を証明する存在となり、9条はアジア地域における平和共存の証とされ、地域全体の財産として保持されていくことになる。
メディアはもうそろそろ、このような歴史的展望、地政学的枠組みで、アジアのこと、そのなかのさまざまな問題、そこにおける日本の役割を、
考えていくようになってもいいのではないか。
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