メディアは今 何を問われているか
大分県教員採用汚職を貫くものは何か
―事件報道だけではみえてこないその背景―
最初の報道段階、子どもや知人を教員にしたがっている人物が、校長や教頭を歴任したような顔の広い元教員などに口利きを頼み、
県教育委員会のなかの実力者に採用時、特別の計らいをしてもらい、その事前あるいは事後に謝礼を払っていた、というような事件で、
ある意味ではどこでもよくある話、あるいはありそうな話と思っていた。
ところが、校長・教頭などの管理職にある現役教員までが仲介役となり、県教委・教育審議監などの要職にある人物が試験実施に直接介入、成績判定に関与し、
そのプロセスを教育委員長も承知しており、さらに県事務局もそれらの事情は薄々知っていても、みないふりに終始、
あまつさえ、その口利きシステムには、県会議員・国会議員まで絡んでいた、というのだ。
そして、謝礼については、事前に贈る場合、事後に贈る場合のタイミング、だれに贈れば必要な全部の相手に適切に分配されるか、現金がいいのか、
これに代わる品物 (商品券、その他) がいいのか、などの “ガイドライン” も長年の慣習として決まっていたようだ。
驚いたのは、採用を決めたものに対しては試験採点の際、何点かゲタを履かせ、反対に、落とすとしたものに対しては、できていても、減点していたという事実だ。
しかも、その指示、さらには内密の加点・減点作業を、県教委の実力者が自らやっていたという。それだけでは終わらない。
このような壮大にして精緻なシステムが、教員採用だけでなく、教員の昇進、校長・教頭の登用に際してもフルに稼働していたことが、あとになって判明した。
大分県は本当に大したものだと、怒るよりも呆れ果て、よくもそこまで 「仕事」 してきたものだと、感心さえしたくなるほどだ。
教員採用や人事の発表も、県議や国会議員が口利き依頼者になっている場合は、正式の結果発表前に、彼らに対して個別に通知していたのだという。
いたれりつくせりだ。県の教員組合にも教員の採用枠が与えられており、それが組合の既得権として尊重され、組合も毎年、
一定人数を採用の枠に押し込むことができた、とする報道も一部に現れた。
さすがに県教組は全面否定したが、そこまでやっていたら、非のうちどころない教員人事システムとなっていた感じだ。
朝日・7月24日付け朝刊の投書欄 「声」 に、興味深い投書を発見した。
「公務員の採用 世襲で決まる」 と題されていた。「大分県の教員採用汚職事件で、10年も昔の話を思い出した。
隣町の役場に勤める同級生が50歳を前に退職し農業に専念すると言う。それまでも兼業で頑張ってきたのにと疑問をはさんだら、息子が役場に入るからだと言う。
『1家族で2人勤務はダメ。息子を入れるには親が辞めなきゃ』 と解説された。
…役場職員のいる家にはワクのようなものがあって、1人が身を引けば次が入れるのだという。『有力者にウン百万渡すのさ』 とも。
その目で見直すと確かに世襲っぽい例に事欠かない」 (投書者は青森在住の58歳男性)。
これを読んで60年以上前のことを思い出した。縁故疎開先、山梨の農村で暮らしていたころのことだ。敗戦時、10歳・4年生だったが、
当時、国民学校=小学校には、6年の上に高等科 (2年制) があり、圧倒的多数の子どもはそこまでで学校は終わりだった。
旧制の高等専門学校を目指したり、旧制の高等学校に入り、その後大学にまでいこうと考え、6年を終えて旧制中学 (5年制) に進学する男の子は、
10%もいなかったのではないだろうか。あとは、これより多少多かったかと思われるが、5年制の工業・商業・農業・家政などの実業学校に進んだ。
一方、小作農の子どもなど、国民学校6年で学業を終えるものも、かなりいたはずだ。
敗戦後、いわゆる6・3制になり、義務教育は小学校と中学の計9年となった。新制高校 (3年) は旧制の中学と女子高等学校、
それに各種の実業学校をすべて包含するものとなった。だが、1950年頃だと、新制中学から高校への進学率は、まだ3割を切っていたのではないかと思う。
なかでも、大学進学を志すものは普通高校に進学するが、この部分はやっと1割を超える程度ではなかったか。
なんでこんなことにこだわるかというと、農村型の地域社会における地場の知的な人材再生産能力は、かつてこの程度のものだったということを確認したかったからだ。
居住する町・村、あるいは隣の町・村の学校に勤める教師になるには、旧制の師範学校 (専門学校) を出ていなければならない。
同じく地元の町・村役場の吏員、いまでいう地方公務員になるにしても最低、旧制中学か新制高校を出ていなければ具合が悪い。
農業会=戦後は農協 (農業協同組合) の職員、あるいは信金など地方金融機関や郵便局の事務職員になるにしても、同じことがいえた。
そうした教育が受けられるのは、ある程度豊かな家の子弟だけだ。
実際、彼 (彼女) らは、もともと地主や中規模以上の自作農の家の出身者か、親も農業兼営の教員、地方官吏だったり、あるいは親が元高級官僚・幹部級職業軍人、
製材・農業加工などの地場産業経営者、富裕な商店経営者など、農村型地域社会では少数のエリート層、農業以外での事業成功者だったりするものがほとんどだった。
要するに、その地域が必要とする地方行政、教育、医療、その他の公共サービスの運営・管理に当たる人員の数は限られており、これを充当するぐらいの人材の育成は、
地域の相対的に富裕な層が担ってきたのが、戦前から敗戦直後の多くの地方の状況だった。
これは、富裕層の既得権というより、ある種の社会的責任の履行という面も伴っていたように思える。
だが、このような状況は、50年代末から高度成長期を通じて、急速に崩壊していく。
農地解放で自作になった農家が豊かになり、生活水準が全般的に向上、子どもの高校進学率が、つづいて大学進学率も、飛躍的に高まっていったことが、
まず挙げられる。高学歴化した若者が田舎を離れ、中央都市部や故郷から離れた工業開発地域に出ていき、サラリーマン、労働者として働き、
そこで所帯をもつ状況も拡大した。流通・交通圏も、モータリゼーションの進展に連れて急激に拡大した。地域の様相は一変したのだ。
居住地=町・村の必要とする行政・公共サービス要員の数も増えたが、これを上回るかたちで、全県域さらには県外都市部における求人数が大幅に増大、
労働条件がよく、若者の野心にアピールする仕事は、こちらのほうでたくさん見つかるようになった。
高学歴で優秀な若者ほど、どちらかといえばこちらに流れ、地元には二番手の人材、あるいは事情があって家を離れられない若者が残ることになった。
このような変化は、教員・地方公務員の人材源にも影響し、県域規模での人事交流は当たり前になり、教員に関する限り、
県出身者が東京の大学を出て異境で教員になったり、反対に県外の人間がきて地元の教員になったりすることも生じるようになった。
だが、こうした状況もまた、変わる。70年代半ば、石油ショック後の景気後退期に、大都市部勤労者の厳しい生活に幻滅、いわゆるUターン現象が始まる。
劣悪な通勤条件、とくに住環境の酷さ、住宅費・教育費の高さ、定年後の生活の不安定さなどから、30歳前後から定年前までのサラリーマンのあいだで、
両親が元気なうちに出身地に帰り、職住接近型の仕事を地元でみつけたい、とする故郷帰還派が続出した。
この流れは、そうしたことのできる条件に恵まれたものによってつくられたものだが、80年代半ばのバブル期を超え、90年代末近くの就職氷河期到来とともに、
実に世知辛いものに変質する。地元に帰ろうにも、もはや仕事がみつからなくなったからだ。
そうして、地元の教員・地方公務員はノドから手が出るほどの羨ましい職業とみえるものになった。
おそらく、70年代後半以降のUターン期でも、安定した家業に恵まれないものには、教員・地方公務員はいい就職先と映っていたはずだ。
そうして、いったんそこへの就職ができると、それはいつの間にか世襲化、あるいは利権化し、教員・地方公務員のポスト配分に実権が振るえるものの立場は、
自治体行政・地方政治の場で、かつてないほど強大なものとなったのだ。
今や虎の子というべき、それらのポストの配分は、教員や町村職員などの既得権をもつものと、自治体幹部・地方政治家など決定権にあずかるものとからなる、
インナー・サークルの談合を通じて行われる―これが大分県教員採用の構図だ。どちらも、自分の権限を失いたくなかったら、秘密はすべて守らねばならない。
話はこれで終わりではない。新聞もテレビも、この事件を職務規律違反事件、贈賄・収賄の汚職事件として報じてきた。確かにそうには違いない。
しかしこれは、よりすぐれて教育問題なのではないか。その観点からの報道・論評がどれほど行われてきたかといえば、的を衝いたものはほとんど見当たらない。
話を飛ばす。勤務評定制度導入、校長・教頭の管理職化、教育委員会公選制廃止 (任命制とされる)、「道徳」 教科導入、
国旗国歌法制定、日の丸掲揚・国歌斉唱強制 (違反者処分)、教育基本法 「改正」、教科書検定で沖縄の 「集団自決強制」 記述の削除命令 (その後修正)、
学習指導要領総則に 「国と郷土を愛する日本人を育成する」 の文言盛り込み、職員会議での多数決禁止など、政治と行政のトップダウンによる、
教育の内容・方法に対する変更措置は、新憲法と教育基本法の理念を踏みにじり、これに基づく民主的な教育のあり方を、大きく歪めてきた。
戦後教育の成果を敵視し、その実績を否定しようとするものだ。
教育現場の自由な気風を圧殺し、間違った教育を無理やり押し通すこのような権力行使の体制こそ、教員採用・昇進の決定・実施の過程のそれと瓜二つ、
というより、まったく同一のものではないか。
それは、教育に携わろうとするもののうち、こうした教育のあり方、教員採用のあり方、両方に従順で、文句をいわないものだけを、選ぶのに都合のいいシステムだ。
すでに教員になっているものでも、それらのやり方に対して異は唱えるのは困難だ。
もし逆らえば、自分の昇進、あるいは自分の子ども、親類・知人の教員志望について、口利きを頼もうと思っても、だれも聞き入れてくれないことになるからだ。
こうした関係のなかには、戦後教育制度を貫いていた民主主義が消失、代わって政治的な権力支配が持ち込まれ、強化され、
教員をものいえぬ存在と化してしまった経緯が、浮かび上がってくる。
そうした教育の反動化、権力化こそ、汚職を必然的に生む構造を肥大させ、これを完璧なものに仕上げてきたのだ。
大分県の不公正な教員採用試験の実態を伝える報道が、こんなことがやられていたのかとする驚きとともに、教育というもののあり方に対して重要な一石を投じ、
根本的な疑問を世間に喚起した意義は、もちろん大きい。
たとえば、ペーパー・テストの採点における点数の操作でうまく差別化できない場合は、落とすものに対しては面接試験などの 「性格テスト」 のほうで減点して落とし、
あらかじめ入れると決めておいた内定者が受かるようにした、という報道があったが、「適性試験」 ではなくて、「性格テスト」 というものがあったのには驚いた。
ペーパー・テストを主体とした 「適性試験」 なら、あらかじめ定めた適性基準への適合性によって、教員としての適性の程度を判断できるだろう。
しかし、面接主体の 「性格テスト」 で 「性格」 の良否を判定するのでは、面接者の主観に左右されるところが大きく、ヘタをすれば、「思想テスト」 になりかねない。
質問事項に愛国心とか日の丸、君が代などに対する応募者の考え方を聞くことが入っていたのかどうかは知らないが、もしそんなものが含まれていたのなら、
とんでもない話だ。
8月6日、県教育長は、県内小中学校の全児童・生徒約9万8700人に 「皆さんやご家族の信頼を裏切ることになり、深くおわびします」 「学校の先生であれ、
悪いことをした人は必ず罰せられなければなりません。これもまた社会のルールです」 「大分県の教育を良くすることを約束します」
とつづった謝罪文を配布したという (読売・8月7日朝刊)。これはもちろん、児童・生徒たちに対する教育的効果を考えてのことであろう。
どのように正しく責任をとるかを教え、彼らの信頼を回復することは、当事者側最高責任者として当然やらなければいけない。
頬かむりしてすますのでは、相手が子どもとはいえ、身近に存在する教育者とその教育に対する不信感を植え付けるだけに終わる。
だが、このような謝罪文を配っただけで、本当に子どもたちの不信感を払拭、しっかりした教育に対する信頼と期待を呼び戻すことができるのだろうか。
まだやらねばならないことは山積している。この際、教育に対する政治的・行政的で、権力主義的な支配の構造を根本から変革し、
現場の教員の自由な発意が生かされる、活気ある学校に戻していくことこそ、児童・生徒、その親たち、そして多くの教員志望者、現場の先生がたが、
もっとも強く待ち望んでいることではないか。
21世紀の教育界は、地方にあっても、半世紀以上前の地域社会における自己充足的な人材調達では、もうとてもやっていけるものではない。
かといって、地元自治体行政や政治家の支配体制の下における、利権化した職業世界として安定が追求されていいものでは、ましてない。
新しい教育のあり方を目指し、教員となることを目指す若者は、今や全国至るところの教育・養成機関で育ちつつある。
彼 (彼女) らに対して、公正でオープンな応募方法を示し、公平で透明な選考基準・選抜過程を適用、学校に有為な人材を集めていくことが、必要とされている。
その対象に、外国人応募者も含めてもいいぐらいだ。さらには、小中学校、高校、大学・大学院全体を貫く人事交流、教育研究の場の拡大も図られていくべきだろう。
メディアには、そのような新しい教育を語ることのできるジャーナリズムとなることが、求められている。
話題になった東京・杉並の 「夜スぺ」 方式が、行政の思惑がらみで、今度は大阪府でも始められようとしているが、
そんな目くらましをもてはやすだけのメディアであっては話にならない。
2008.8.7
アキバ事件につづく八王子事件の衝撃
―メディアはどんなメッセージを送るべきか―
また、「誰でもよかった」 殺人が起きた。7月22日、東京・八王子の書店、アルバイトで働いていた中央大学の女子学生が、売場で本を整理中、
包丁で胸を一突きされ、命を奪われた。派遣労働を繰り返してきた容疑者、33歳の男性会社員は、また失職の恐れに直面していた。
警察発表によれば、彼は、親と仕事のことで相談したが、話に乗ってもらえなかったと語った、という。テレビに出てきた父親は、息子はほぼ1か月、家に寄りつかず、
顔もろくに合わせていなかった、と語った。
いずれにせよ、ここにも、雇用不安定の状況と一番身近なところでのコミュニケーションの断絶とがあったことを、容易に想像させる。
アキバ事件以後のこのような事件の発生、それをどう理解すべきかの社会的な問題意識の整理や議論の適切なリードができないメディア。
この社会はいったいどうなっていくのか、何もできずに手をつかね、社会が崩壊するがままに任せていくしかないのか、と不安になる。
疑問に思うことはたくさんある。以下に思いつくまま、列記してみる。
・ マスコミの責任: 7月24日のテレビ朝日 「スーパーモーニング」 をみていたら、女性キャスターは、
容疑者が “人を殺したらマスコミに出られるだろう” といった点を気にし、「そういわれると、マスコミの側としては辛い。
報じれば、マスコミに取りあげられることを願っている犯行者の注文にはまってしまう。
また、容疑者と同じような状況にある人を刺激し、模倣犯を生み出すおそれもある。どうしたらいいものか」 と、悩みを口にした。
おそらくその場の思いつきで述べたことでなく、テレビ朝日に限らず、ちょっと真面目に考えれば、このような事件の報道に当たるどのメディアの記者、
キャスター、ディレクターも本当に悩むところだろう。
だとしたら、そろそろ本気で、それこそどうしたらいいか、検討することを始め、今までのやり方を思い切って変えていくべきではないか。
客観報道、中立報道でテレビ視聴者全体に、ただ一律に起きたことを伝えるだけでなく、世間に広く潜んでいるはずの模倣犯予備軍、その家族、学校の先生、
職場の人たち、行政関係者などを意識し、それらの人たちに切実に受け止めてもらえるメッセージをどう送ったらいいか、真剣に考えてみる必要があるのではないか。
・ 犯行予告模倣事件を伝えないマスコミ: 6月8日、アキバ事件のあと、9日に東京・池袋で、10日に新潟で、12日に茨城で、13日に大阪市で、
それぞれ無差別殺人をネットで予告した若者の逮捕事件が、相次いで起きた。14日にも、福岡のアルバイトの少女 (17歳) が九州の駅での大量殺人を携帯サイトで予告、
翌日捕まる事件が起きた。あとは広島、愛知、埼玉、栃木、東京・立川など、数日も経ないうちに立て続けに類似事件が連続発生、警察庁は6月24日、
23日夕方までに予告事件17件を検挙、逮捕・補導したことを発表した。
7月8日の毎日・朝刊は、その後の状況も含め、この種の模倣事件は警視庁によると、全国で100件以上起きており、33人が摘発された、と報じた。
同時点でNHKの報道によれば、35件発生ということだった。逮捕・補導されたなかで最年長は静岡県の会社員・43歳で、あとはほとんど10〜20歳代、
最年少は福岡の小学生11歳だった。
不思議なのは、これらの事件の多くは発生の都度、ネット・ニュースには出てきて、知ることができたが、
新聞、テレビなど大きいメディアが、ほとんど報じなかったことだ。マスコミが報じなくても、模倣犯は大量発生していたのだ。
ネット情報がそれを手伝ったことが類推できる。おそらくマスコミは、模倣犯予備軍を刺激するのを控え、つまらぬ犯行予告を誘発すまいと、報道を自制したのだろう。
ところが、予告の模倣は大量発生してしまった。これをどう考えるべきか。
報じることを止めて模倣犯を出すまいとするのでなく、愚行を思い止まらせるために、積極的に報じていくことを覚悟し、メッセージの内容、伝え方をどうするかを、
よく考えるべき時機がきているのではないか。
・ 身勝手さを戒めればいいのか: 上記の 「スーパーモーニング」 では、テレビで売れっ子コメンテーターとなっている女性の大学教授が、
「同じような境遇にある若者でも、ちゃんと生きている人がいる。所詮、身勝手な行動だ」 と、八王子の容疑者を批判した。
それに違いはないが、問題は、その言葉に、模倣犯予備軍に届き、類似の犯行や、犯行予告の模倣に走ろうとする若者に、それを思い止まらせる力、
メッセージ性が果たしてあるか、という点だ。
7月24日の読売の社説 「無差別殺傷 繰り返される身勝手な凶行」 も、「不安定雇用などを改善していくことはもちろんだが、自らの努力不足や忍耐不足を省みず、
他人や社会が悪いといった責任転嫁の風潮が強まっていないか。…平穏な生活を守るために、犯罪には毅然と対処すべきだ。
それでこそ遺族の納得も得られる」 と述べ、最高裁が11日、9年前の下関駅殺傷事件の被告に言い渡した死刑判決を支持する見解も、ついでに示してみせた。
だが、こういうメッセージが模倣犯予備軍の人たちの自暴自棄を思い止まらせ、一般の人たちの 「平穏な生活」 を保証することになるのかは、大いに疑問だ。
土浦駅の連続無差別殺傷事件の容疑者も、岡山駅ホーム突き落とし殺人の少年も、アキバ事件の容疑者も、死刑にしてもらいたいと、自分で言っていた。
そうした気持ちに囚われた人間を厳罰で脅し、凶行を止めさせようとしても、効き目はない。
むしろ反発を強める結果を招き、いっそう憎悪を募らせ、犯行への盲目的な突進を促すだけではないか。
これではマスコミは、模倣犯をなくすどころか、より多く誘発するだけではないのか。
・ 社会を問題にするしかない: 問題の 「スーパーモーニング」 にはコメンテーターとして男性作家も出ていた。
彼は 「犯行者は、敵意をだれに向けていいかわからず、社会全体に向かっていく。また、彼らは社会との接点がみつけられず、そこに自分を発見することができない。
犯罪でしか社会との接点がみつけられなかったのだ。マスコミに名が出るのを願うのも、虚栄心からでなく、自分の存在の証がそこにみつけられるからだ。
こういう犯罪には、社会の側から対応しなければいけない。社会がそのあり方を変え、
彼らを犯罪へと追い立てないですむものになっていく必要がある」 とする趣旨のことを語っていたが、こちらのほうが余程説得的に聞こえた。
そういう意味では、朝日がアキバ事件直後、「派遣はいま」 (朝刊・4回連載) で若者の不定期労働のルポを掲載したのにつづき、「殺意の矛先」 (7月・朝刊5回連載)、
「公貧社会 支え合いを求めて―千葉・東京ベイエリア」 (7月12日朝刊3ページ特集)、「ルポにっぽん 車中12泊 なんでも運送」 (21日朝刊。過酷な 「傭車 (ようしゃ)」、
随時呼び出されたときだけ仕事をする運転者の労働実態のルポ) などの企画報道が注目に値する。
八王子事件の翌日朝刊は、3面で 「漂う年長フリーター」 問題を取りあげ、若者から押し出された雇用不安定層の実態も、リポートした。
社会の側に意図的な悪意があるわけではないが、そこで働くしか仕事がない若者たちの側に、確実に孤独、絶望とともに、
社会に向けるしかない敵意が積み重なっていく状況が存在する現実を、これらのリポートは迫力をもって明らかにしている。
・ もっと先に進む責任がある: しかし、若者を閉塞した状況に追い込む社会の姿を捉えることができたとして、そこで足を止めていいものではない。
やるべきことに手をつけた以上、もっと先まで進まなければならない。その閉塞をどう打破するかの道を示すこと、少なくともそのための議論の場をつくっていくことに、
責任を負わなければならない。しかし、そうなると、朝日の議論も、力強さを欠き、もどかしさを感じさせる。
7月24日の社説 「無差別殺傷 この連鎖を断ち切らねば」 は、そのためには第1に、「家庭や学校、職場で、人とのつながりが持てれば犯行を思いとどまる」、
第2に、「人々が少しでも安定した暮らしを送れるような社会にできないかということだ」、第3が 「教育の取り組みも必要だ。
…命の大切さを幼いころから時間をかけて学ばせるしかない」、という。
いちいちもっともだ。だが、それらのことができてないから事件が起きているのではないか。
なぜそれができないのかを究明、そうできるようになるために、最も緊急かつ有効な方策を提案したり、その実現を阻む有害な要因の除去を主張したりすることこそ、
有益なリポートのあと、つづいて実行するよう求められるものではないか。
朝日・毎日は政府・与党が日雇い派遣禁止の考え方を出すと、それが当然だと受け止めた。
これに対して、読売・社説 「日雇い派遣 規制強化の前に冷静な論議を」 (7月8日)、日経・社説 「日雇い派遣の禁止でいいのか」 (同) は、条件付きではあるが、
その続行を提唱した。これと比べれば、朝日のほうが確かに事態をより切実に受け止めている。
しかし、派遣を問題とし、グッドウィルなど派遣元企業の問題には厳しい目を向ける割には、派遣先企業、派遣労働を受け入れて利用、
非正規労働の若者を企業利益のために消耗品のように使ってきた企業の問題には、まだそれほど厳しく斬り込んではいない。
・ 解決と希望の方向を示せるか: 06年4月、朝日は政治・経済・社会3部の協力体制の下、偽装請負摘発のキャンペーンを行った。
その結果、御手洗富士夫経団連会長の出身社、キャノンや、松下電器系の松下プラズマディスプレィ茨木工場での偽装請負をスクープ。
報復的に大広告主の両社から、9か月におよぶ広告の出稿停止の嫌がらせに直面した。
だが、このスクープが派遣労働をめぐる暗黒部分に光を当て、これに抵抗し、労働条件の向上、
人間としての権利と誇りの回復を求めてたたかってきた若者たちへの世間の注目を集め、彼らを激励したことの意義は、実に大きかった。
そのような報道の力は、アキバ事件に際しても、もっと大きく発揮されてしかるべきではなかったか。
容疑者の派遣先、関東自動車工業は、トヨタ自動車が50%以上の株をもつ、トヨタグループの中核企業だ。
そこに派遣元企業、日研総業がどのように組み込まれ、その派遣従業員を利益の源泉としてトヨタがどのように利用してきたかは、
もっと詳細に解明されてもよいのではないか。その解明を通じて、社会の側が何を変えるべきかの問題点が、かならず浮かびあがってくるはずだ。
また、80年近くも前の小説、小林多喜二の 『蟹工船』 のなかに、今自分たちに過酷な労働と貧困を強い、
人間の尊厳を摩滅させるものと同質の敵を発見しだした若者たちも、自分が現在属する社会にあっては、その敵はだれなのか、
これとたたかうためにはだれと一緒に手を結んだらいいのかを、そうした解明から理解することになるはずだ。
そうなれば彼らは、もう孤独ではない。出口もみえてくる。そのような解明がいまほどマスコミに待ち望まれている時代はないといってもいいのではないか。
そうした方向を指し示す姿勢と努力こそが、メディアの報道に有効なメッセージ性をもたらすのではないか。
・ 「万人の万人に対する闘争」 の阻止: 04年、佐世保小6女児同級生殺害事件が起きたあと、大学で3年生のゼミでこの問題について話し合ったことがある。
ネット、友情、親と子、学校のいじめ、その他いろいろの問題も、話題となった。とくに結論を出すつもりはなかったが、最後にひとつだけ質問を投げかけてみた。
「こういう世の中になると、君たちが卒業して20年近くも経ち、結婚し、子どもが中学生、高校生になったとき、ひょっとして自分の子どもがひとを殺すか、
あるいは逆にひとから殺されるかすることも、まったくあり得ないことではないように思える。そうなったと仮定したとき、親としてはどっちが辛いだろうか。
自分の子どもがひとを殺した場合か、あるいは殺された場合か」。
表現の仕方に多少の違いはあったが、すべての学生の答えが、「自分の子どもが殺されたら、
不憫で悲しいが、もし子どもが理不尽にもひとを殺すようなことがあれば、それにもまして余程辛い。そんなことはけっしてあってはならないと思う」 とするものだった。
幼さを残した現代っ子ではあるが、人としてちゃんとした考え方ができているではないかと、安心もし、感心もした覚えがある。
現在は、家族を殺されたら、加害者を憎み、これに対する極刑を望むのは人として当然だ、とする風潮が強まっており、
マスコミがそれを促しているようなところも目に付くが、社会性を備えた人間は本来、そのようなものではないのだ。
人間の社会性を破壊し、個人をひとり荒野に彷徨させるような事態を、自分の利益や支配に都合のいいものとしてつくり出すもの、
ホッブスが言う 「万人の万人に対する闘争」 の状態を好都合とするものを、暴き出し、罪することこそ、今ジャーナリズムに求められている仕事ではないか。
2008.7.27
洞爺湖サミットのカゲで何が起こっていたか
―緊急に解決されるべき問題の行方は―
7月7日から9日までの3日間、北海道・洞爺湖畔のザ・ウィンザーホテル洞爺で開催されたサミット、第34回主要8か国 (G8) 首脳会議には、
世界中から、緊急を要する重要な問題の解決について、大きな期待が寄せられていた。
もちろん、当初から予定されていた、地球温暖化防止のためのCO2排出規制に関する明確な行動指針の決定も、重要な問題であるには違いない。
しかし、今春以降の急激な原油の値上がりに伴うエネルギー危機、これと連動、食糧資源の大きな部分がバイオエタノール原料に回されることによって生じる食糧危機、
アメリカのいわゆるサブプライム問題 (低所得層向け住宅融資の不良債権化) によって不安定化した株・債券市場から逃げ出す巨額の投機資金が、
石油・穀物などの商品相場に流れ込み、エネルギー・食糧危機をいっそうこじらせるとともに、世界恐慌まで引き起こしそうな金融危機、
この3つの危機の克服に向かって洞爺湖サミットがどう動くかに、世界中の目が注がれるようになっていた。
だが、会議が終わってみたら、この緊急かつ重大な問題に対して、すぐ役立ちそうな方策は、何一つうち出されはしなかった。
それどころか、目玉のCO2排出規制でも、縛られるのを嫌うアメリカに公然とそっぽを向かれるのを避け、規制は大事だ―─削減には足並みを揃えてもいい、
とする程度の賛成を取り付けただけで、大まかな削減目標の数値設定さえ、できないままに終わった。
たしかに中国、インド、ブラジルなどの新興国の抵抗もあった。だが、先進工業国側が進んで自ら負うべき厳しい削減目標を提示していたら、新興国もいつまでも、
不満を理由とする抵抗はできなかったはずだ。
だが、アメリカへのヘンな気遣いが、新興国のサボリを許す結果となった。EU所属国はアメリカに割と厳しかった。
ホスト国、日本が一番、アメリカに甘かった。
しかし日本の新聞は、声の大小の違いは多少あれ、終わってみたらみんな、成功、成功と自賛ばかりが目立つような紙面を、そろってつくったものだ。
ところが、サミットが終わった途端、気になる動き、問題がすぐ、いろいろと起きだした。アメリカのドル・株・債券の3つが11日、そろいもそろって大幅安値に転じた。
また同日、アメリカの地方銀行だが、住宅ローンでは大手のインディマック・バンコープが破綻、取り付け騒ぎが生じた。
13日になると、ポールソン米財務長官は、政府資金で設立された連邦住宅抵当公社・ファニーメイと住宅貸付抵当公社・フレディマックの経営不安・
株価急落への対応策として、両社に対する公的資金の注入も考えている、と発表した。
FRB (連邦準備理事会。日本の日銀に当たる) もこれに合わせ、両社への特別融資方針について発表を行った。
政府は、公的資金注入は必要ないと、さんざん繰り返していってきたのだから、様変わりだ。
問題は、こうした事態が日本にとって対岸の火事ではすまされなくなる、という点だ。
米住宅公社などの米政府機関の債券は、日本の企業もたくさん買い込んでいる。三菱UFJの 3.3 兆円を筆頭に、
みずほ、三井住友の3フィナンシャル・グループ合計で約 4.7 兆円、このほか日本生命の 2.5 兆円を筆頭に、第一生命、明治安田生命、東京海上日動、
三井住友海上の5保険会社で約 3.6 兆円、大和証券グループ本社が約1400億円、それぞれ買い込んでいる事実が判明している。
1990年代半ばに深刻化した、いわゆる住専問題 (銀行がバブルの時期、ノンバンク、住宅金融専門会社を通じて巨額の融資を行ったが、バブル崩壊後、
それが不良債権化し、経営困難に行き詰まった問題) の解決を10年越しでようやく解決できるところまできたのに、
今度は、アメリカにおける同様の大火事からもらい火し、もう1度、似たような苦労をする羽目になりかねないのだ。
もう一つ、世界第2位のビール大手、ベルギーのインベブ社が14日、アメリカ第1位 (世界第4位)、
日本でも馴染みのバドワイザーで知られるアンハイザー・ブッシュを、5兆5000億円で買収した事件だ。
両社の合計シェアは、世界市場のおよそ25%にも達し、現在世界1位、イギリスのSABミラーをはるかに超える、
巨大ビール会社が誕生することになるという (日経・15日朝刊)。
ことがビールだけならどうということでもないが、その背景に大麦、ホップ、トウモロコシなどの原料調達問題が大きく横たわっている点を、重視する必要がある。
合併による規模の効果は、投機資金が相場を荒らしがちな状況のなかでは、栽培契約、取引量先決めなどの可能性を大きくし、
価格の安定化、相対的に低価格での原料調達など、あらゆる点で競争上の優位性をもたらしてくれる。
そのことは、同業間ではさらなる合併・統合を加速するだろうし、小麦製品、酪農製品など、他の食品産業における世界的な巨大企業をも刺激し、
彼らのあいだでの寡占的統合を促すことにもなるだろう。これらのことは、食品企業に投機筋を向こうに回した対抗力をもたせ、一見いいことのようにみえる。
しかし、企業が投機筋に負けないほどに、たとえば穀物相場での対抗力がもてるようになるということは、その企業自身も、穀物相場で価格支配力をもつようになり、
穀物を食品製造に用いるよりは、金融的先物商品として取り扱ったほうが儲かると判断できたときには、そうする可能性もある、ということを意味する。
金融的先物商品に対する投機とは、その商品の価格が上がっても儲かるし、先にいって下落しても儲かるものだ。
ほかの相手が売りに出るか、買いに出るかで、どっちにも札が張れるギャンブルと同じだ。食べ物がそんな材料にされていいものだろうか。
また、世界の需要の3分の1とか4分の1とかを1社がまかなえるというような巨大食品会社は、世界中の農業生産者、
食料購入者に対する価格支配力を一手に握りかねない。
途上国の労働集約型の農業生産者は収穫物を安値で買いたたかれ、食品としてその製品を買うときは、高い値段で買わされることになるそれがある。
日本とて危なっかしい。食糧自給率があまりにも低いからだ。世界的な寡占型食品産業が人為的にタイトな供給状態を続行すれば、対抗する手段がなく、
高い食料品を買いつづけるしかない。そういう意味では、15日に経済産業省が閣議に提出した2008年版 「通商白書」 が重要なメッセージを伝えている。
新聞報道 (日経・15日夕刊) では、原油、小麦、トウモロコシ、銅の、いずれも原料というべき一次産品4品目だけだが、
その日本における価格の3〜4割は 「投資」 によって押し上げられる結果となっている、とするデータを示したからだ。
すなわち、原油の国内市場価格はバレル125.5ドル、その50.8ドル (40.5%) は需給以外の部分だというのだ。同様に小麦・ブッシェル7.8ドルの2.7ドル (34.6%)、
トウモロコシ・ブッシェル 6.0 ドルの 2.8ドル (46.7%)、銅鉱石・1000トン 8.4 ドルの 2.0 ドル (23.8%)が、それぞれ実需以外の投資、
投機資金で押し上げられた部分だとみなされている。その部分は市場が透明でなく、説明しきれないこと、07年後半以降、とくに08年に入っての増加が著しいこと、
銅と比べると、広範な領域において投機の対象となりやすい前者3品目での増加が目立つこと、などが指摘できる。
こんな歪んだ価格形成状況の下で、消費税の引き上げを急いでいいものだろうか。それは物価の歪みをいっそう不健全なものにしていくだろう。
しかし、高度な工業力をもち、工業製品を高く売り、そのカネで食糧・エネルギーを、多少高くなっても買える日本はまだいいかもしれない。
酷い目に遭うのは、売れるものは農産物しかないが、それを安く買いたたかれるにしても、輸出せざるを得ず、
貧しいものは食べるものさえ自国内にみつけることができなくなる途上国だ。
貧しくても食べるだけは食べられた、という状態さえ奪われてしまう。金持ちG8がこのような危機を打開する有効な手だてをうち出せなかったことを、
なぜ日本の新聞はもっとはっきり批判しないのかと、つくづく思う。
洞爺湖サミットが終わった、ある種気の抜けた雰囲気のなか、もう一つ別の重大な問題をめぐって重要な動きが生じた点にも、触れておきたい。
政府の防衛省改革会議 (座長・南直哉東京電力顧問) が15日、福田首相に報告書を提出したが、その中身を放っておくわけにはいかないからだ。
そもそもこの改革が叫ばれ、首相の諮問会議として改革会議ができたのも、発端は、守屋武昌前防衛事務次官の接待ゴルフ漬けなど、
構造的な汚職体質を一掃、装備品調達に絡む防衛省・防衛産業の利権体質・癒着構造を改革することが、狙いであったはずだ。
だが、その後、石破防衛相が内局=背広組と自衛隊=制服組の人事交流促進、陸・海・空の縦割り組織の一元化を唱えたり、
イージス艦 「あたご」 の漁船衝突事故が起き、たるみの引き締めなどが叫ばれたりするのに連れ、いつの間にか防衛省・自衛隊の組織改革が主眼とされるようになり、
結果的に報告書は、そうした内容のものとなっていた。これによって、防衛大臣が、背広組・制服組一体となった組織を、直接指揮する体制が強められることになるようだ。
文民統制を担保するため、首相官邸の司令塔としての機能を強化する、とする構想も盛り込まれた。
しかし、たとえば海外に派遣された自衛隊の行動が現場において先行、これを政府レベルで制御しようとしても、現場の事態の変化が早ければ、
即応は防衛大臣レベルで行うほかなく、細かなことのいちいちまで官邸の司令塔に判断を仰ぐなどのことはできないのではないか、とする疑問が湧いてくる。
そのように考えると、かつて戦前・戦中の軍部が、現役武官大臣制にこだわったり、天皇の大権に属するものとしての統帥権を押し出し、
軍の戦略・作戦行動への介入は統帥権に対する干犯だと、批判者を圧伏してきた史実を思い出さないわけにはいかない。
大方の新聞社説は、改革会議報告に対して、利権・汚職構造改革はどうなったのだ、組織改革だけに傾斜するのは話が違うのではないか、
とする疑問は一応提起していたが、もっと突っ込んだ批判、あるいは問題提起が必要だったのではないか、と思わせた。
とくに感じたのは、13日、米第7艦隊の原子力空母 「ジョージ・ワシントン」 の横須賀母港化に反対する全国集会が現地で開かれ、
主催団体によれば3万人の市民が集まったというのに、各紙の14日夕刊 (朝刊は休刊)、15日朝刊をみても、このニュースが目に止まらなかったことだ。
1999年の周辺事態法以降、日米軍統合運用が進展、昨年の米軍基地再編促進特措法制定に伴い、その動きはスピードを上げている。
横須賀には米第7艦隊と海自・自衛艦隊司令部の合同体制が事実上、実現している。
「ジョージ・ワシントン」 はその体制下で横須賀を根拠地とするわけだ。キャンプ座間には米西海岸から米陸軍司令部が移駐、
そこに陸自の 「中央即応集団」 と 「戦闘指揮訓練センター」 が開設された。横田はどうか。ここはもともと、在日米空軍の中央司令機能を担ってきた基地だ。
そこに空自の 「航空総隊司令部」 が移転、日米 「共同統合運用調整所」 が設置された。
そして、「訓練移動」 と称する米軍機の空自基地利用が、反対に 「訓練実習」 と称する陸自の沖縄米軍基地の利用が、どんどん実施されるようになっている。
ミサイル防衛 (MD) 実験に伴う、海外での日米合同演習も進んでいる。このような事態をどうみるべきだろうか。
制服組の日米軍事交流、というより、太平洋・アジア・中東にまたがる、いわゆる 「不安定な弧」 への効率的な出動態勢を、
日本も巻き添えにして組み立て直す米軍事戦略の再編のなかに、自衛隊は 「部品」 として組み込まれつつある、とみなすべきではないのか。
日本のみせかけだけの 「文民統制」 は、米軍が実力行動に出たら、ひとたまりもなく吹き飛ばされることになるおそれがある。
防衛大臣は米軍側のエイジェントと化されるのではないか。
また、かつての統帥権に代わり、もっと怖い米国防総省の意向が、日本のうえにのし掛かってくることになるのではないか。
洞爺湖サミットとはなんだったのか。そのカゲで本当に重大な動きとして生じていたことはなんだったのか。
見逃せないのは、アメリカの不吉なカゲ、その忌まわしい影響力ではなかったか。
日本はそれに無気力に向かい合うだけでは、ますます対米従属の深みに転落していくばかりだ。
そして、そのような日米のもたれ合いは、世界中の貧しい国ぐに、人びとの、怨嗟の的とされていくだけだろう。
メディアはそうした状況の出来について、もっと深刻な危機感を抱くべきではないのか。
2008.7.19
「ワシントン幕府」に吸収されていく自衛隊
―日米安保の変質を前田講師が徹底分析―
マスコミ九条の会主催の公開市民セミナー 「対米従属」 第5回は、「日米安保と自衛隊の変質―米国の世界戦略は日本に何を求めるか」。
講演後の質疑応答のなかで、参加者が 「対米従属の根っこには、日本人に心の従属があるのはないか」 「米軍の一部に組み込まれていくことを、
自衛隊員自身はどう思っているのだろうか」 とする質問に、前田哲男講師 (軍事ジャーナリスト・評論家) がこう答えたのが、強く印象に残った。
「横須賀が日本海軍の軍港だった期間が61年、米海軍軍港になってからが63年。
戦時中、敗戦直後を知っている人間には、軍港の光景は、『従属』 を意識させるが、それしか知らない子ども時代を過ごしたものにとって、それは原風景であるに過ぎない。
漁船衝突事故を起こしたイージス艦の艦長はそのとき仮眠していた。アメリカのミサイル実験への協力が無事に終わったら、あとはどうでもよかった。自立がない。
昔の日本海軍では考えられないことが起こった。そもそも思いやり予算が、従属根性まる出しのものだ」、「自衛隊員ひとりずつからその気持ちを聞いたことは最近ない。
しかし、岩国、三沢の基地をみると、自衛隊と米軍で、入り口はそれぞれ違っても、なかに入ればすでに共同利用になっており、日米の共同統合運用が進み、
戦闘指揮の米軍の優越性が認識できるから、いろいろ感ずるところがあるのではないか。
基地内の米兵・家族用の PX (酒保) では、米軍調達品の免税特例や思いやり予算のお陰で食品が安く買える。
しかし自衛隊員やその家族は利用できない。関税法違反になるからだ。家族住宅では、米兵は 100u 近い家を安く使える。これも思いやり予算だ。
自衛隊員は比較にならない狭い家に高い家賃を払わねばならない。何か感ずるところはあるのではないか」。
一般には、対米従属のせいで自衛隊をもたねばならず、ますますその防衛力増強を迫られているようにのみ理解されがちだが、当の自衛隊員こそ、
対米従属を切実に感じ、理解する立場にあるようなのだ。
前田講師は、最近における日米安保体制の変質と自衛隊の変質、在日米軍再編、日米軍事一体化に対する考察に入る前に、
「なぜ日本は従属国家になったのか、そしてなぜ、かくも長く従属がつづくのか」 とする切り口から、日本の軍事的対米従属の特徴を解明していった。
その第一点として、昭和天皇による 「国体護持」と、米国政府による天皇制を利用した 「無血占領」 との利害が一致し、
憲法第1条 (天皇) と第9条 (戦争放棄) がある種のバーター関係におかれ、前者において国体護持=天皇制維持を、
後者において日本の軍事力の解体・非武装化を、制度的なかたちで実現する妥協が成立した、と指摘する。
だが、そこには、天皇からのマッカーサー元帥訪問、その写真の新聞掲載強制というかたちによる占領軍側のシンボル操作が行われ、
権力交代が日本国民に周知される厳しい現実が存在した。
だが、この妥協のお陰で日本政府も、天皇のご 「聖断」 で戦争が終わった―─その勅語を受けて日本の再生に励み (「承詔必謹」)、「国体護持」 を貫こうと提唱、
敗戦は誰が悪いわけではない、「一億総懺悔」 だと、国民に訴えることができた。
このような仕組みのなかで昭和天皇は、11回もマッカーサーと会談を重ねるなどして、占領軍の日本統治のあり方に心理的担保を与えてきたことも、見逃せない。
重要な例として1947年9月の 「沖縄発言」 が指摘できる。
天皇は、米国の軍事占領が日本の主権下で長期に続行されることが望ましい、と語った。それは沖縄の現状と無関係ではあるまい。
そして、戦後すぐに構築されたこのような 「ワシントン幕府」 に、その後の日本の政府関係者・政治家が、参勤交代していくことになった。
「対米完敗」 意識をもった日本が、アジアに関しては 「対中不敗」 意識をもちつづけ、再考されてよい 「大東亜戦争」 史観も簡単に放棄、アメリカ史観に依存し、
冷戦の論理に従属していったのも、その後に禍根を残した。
鳩山政権は辛うじて対ロ関係改善の端緒を残した。1950年代末、石橋首相が病に倒れなかったら、彼は中国とのあいだで、
西ドイツのウィリー・ブラント首相が冷戦下でも対東欧諸国との関係改善を実現したのと同じような役割を果たし、
アメリカ一辺倒から脱却する足がかりを残す可能性があったが、その機会は失われた。
その後は岸信介路線による日米安保路線がつづいたが、これに対して、1993年に成立した非自民連合、細川護煕内閣は 「多角的安全保障協力構想」 を唱えた。
だが、それは口先だけに終わり、村山富市社会党委員長を首相とする自社連合内閣では、9条維持を唱えてきた政治集団が自衛隊合憲・日米安保容認論に転じ、
主体性を喪失、急速に政治な力を弱めた。
他方で安倍晋三内閣は、日本を独自の 「美しい国」 にするとの理念を高く掲げたが、その方向に反する 「米軍一体化」 の旗を振り、当然のことながら破綻した。
前田講師は、この全プロセスにおけるまやかし、隠しごと、見逃し、捻れ、こじれが現在の 「米軍再編」 に集約されている、と語ったが、軍事はまさに政治の集約である、
と実感させ、興味深かった。
「対米従属」の時代区分とアメリカの占領政策・日米軍事提携の変化の対応は、第1期・1945年以降の初期占領期 (非軍事弱体化から冷戦下での占領政策見直し)、
第2期・1952年からの冷戦期 (サンフランシスコ平和条約と日米安保条約の同時締結とその後の日本再武装過程)、
第3期・1995年以降の冷戦崩壊後 (「安保再定義」、「日米同盟」 化、「9・11以後」 自衛隊海外派兵、米軍再編) の3期に大別することができる。
第1期の軍事体制は、日本は非武装、アメリカが保障占領を続行という形態だったが、第2期になると、朝鮮戦争の勃発、社会主義中国・ソ連の脅威を前に、
アメリカはまず警察予備隊の創設を迫り、日本全体を 「極東における反共戦略のキーストーン」 に仕立て上げることを目論んだ。
当初の安保条約にすでに、日本が自国の防衛責任を漸増的に負うこと、米軍の戦力配備の権利を 「日本国は、許与し・・・合衆国は、これを受諾する」 こと、
が記され、「占領軍」 は 「駐留軍」 と書き替えられ、日米行政協定には米軍に対する駐兵権の保証、内乱介入権の付与が書き込まれ、
琉球諸島の統治の切り離しと基地の拡大を、日本は呑まされた。
また、その線に沿って、対米公約のかたちで警察予備隊が保安隊、自衛隊に変身させられていった。
ただ、アメリカは日本の軍備の大増強を迫ったが、政府は9条合憲の枠内での変身に収める抵抗をつづけ、
自衛隊でも 「自衛のための必要最小限程度の実力」 にこだわった。この過程で、訓練での右向け右も “eyes right !” と号令されるほど、
再軍備過程はアメリカ一色だったが、MSA 協定交渉に当たった池田勇人・宮沢喜一は、米側の強い要求に対して抵抗、陸自18万人体制の線を守った。
しかしこれでは、いつもアメリカに大きく出られる引け目が生じる。
60年安保改定を進めた岸信介首相はこれを嫌って対等の立場を求め、確かに米軍の内乱介入権条項は撤廃させた。
だが代わって双務性が強まり、「極東の範囲」 における防衛責任を背負わされるなど、新しい従属性を強める結果を招いた。
一方、野党の側は、「三矢作戦」、「不沈空母」、「3海峡封鎖」、「シーレーン防衛」 など、政府が新たな従属性の付加された日米安保体制下で自衛隊の任務範囲を拡大、
米軍の戦略行動に不用意に追随させようとする動きが生じると、国会でそれらを暴露、問題化してきた。またそれを、メディアも大きく取りあげ、批判してきた。
ところが、こうした状況に大きな変化が生じたのが、第3期、冷戦崩壊後だ。ソ連の脅威が消失、日本の軍事力を利用するアメリカの口実は消えた。
だが、そこに起きた第1次湾岸危機と戦争はアメリカに、日本に向かって “show the flag” といえる機会をもたらした。
これに対して、日本の大国主義的な国際社会への登場を願う保守勢力や一部のメディアも、呼応した。
細川首相が 「多角的安全保障協力構想」 を唱えると、ジョセフ・ナイ米国防次官補は日米安保同盟の 「漂流」 を恐れ、いわゆる 「ナイ・リポート」(95年) を発表、
アジア・太平洋地域における日米同盟再強化策を提唱した。
その後、96年の 「日米安保共同宣言」(橋本・クリントン声明) で 「地球規模での問題についての日米協力」 が謳われ、97年には 「新ガイドライン」 が合意され、
日米安保は、地理的な日本本土の防衛に限らない、「事態の性質」 に由来する危機である 「周辺事態」 に備えるものへと変質させられた。
周辺事態への対応は拡大自由だ。99年には対応国内法=周辺事態法が制定された。
「放置すれば我が国…(への) 武力攻撃に至る」 事態に対する米軍を支援するための米軍協力法だ。
だが、2001年、「9・11」 が起きると、さらに状況は大きく変化する。
アメリカは世界規模の非正規戦、対テロ戦争の考え方をうち出し、アフガニスタン、イラクへの戦争を開始、
日本にも今度は “boots onn the ground” と呼びかけてきたからだ。日本はアフガン戦争にはテロ特措法でインド洋上の給油協力ですませたが、
イラクでは人道復興支援特措法で自衛隊の現地派遣まで踏み切った。
もはや周辺事態は無限定に拡大、同盟軍=米軍のたたかいにはどこにでも、自衛隊が参加することになりかねない状況が生まれつつある。
自衛隊のイラク派遣とともに、有事法制=武力攻撃事態法 (03年)・国民保護法 (04年) も制定された。
その後の事態の推移はどうか。05年10月、原子力空母の横須賀配備決定 (非核3原則無視)、自民党 「新憲法」 草案 (自衛軍創設、集団的自衛権行使容認)、
在日米軍再編方針 (米日作戦機能合体、「全土の沖縄化」) という、9条を虐殺するかのような発表が、27日から29日、たったの3日間に行われた。
2014年完了予定で、日米軍統合運用も進められている。横須賀では米第7艦隊と海自の司令部が合同化した。
キャンプ座間には米軍本土の陸軍司令部が移駐、陸自 「中央即応集団」 「戦闘指揮訓練センター」 が開設された。
横田米空軍基地には空自の航空総隊司令部が移転、日米 「共同統合運用調整所」 が設置された。
このような 「新ガイドライン安保」 の実態は、日米の軍事一体化とか融合とかいうものではない。米軍戦略のなかへの自衛隊の部品化、吸収とでもいうべきものだ。
そして、さまざまな新しい問題が生じている。
07年の在日米軍再編促進特措法は、米軍基地受け入れ自治体に交付金を出す一方、岩国のように協力拒否なら既定の補助金まで打ち切る事態を生んだ。
米軍機の空自基地利用、陸自の沖縄基地での訓練など、双方交じっての基地利用が激しさを増している。
小樽・室蘭に空母が寄港、新潟にイージス艦が入港など、港湾・空港などの民間施設も影響を受け、沖縄・少女暴行事件、横須賀・タクシー運転手殺人事件など、
民間人巻き添えの犯罪も多発する傾向がうかがえる。
米普天間基地の名護への移転、沖縄の海兵隊のグアム移転など、実現に要する費用負担の増加という問題も、これからのことだ。
こうした従属を断ち切るにはどうしたらいいか。
一つにはきたるべき政権交代が大きなカギとなるだろう。
新政権が安保条約をなくせば、基地は消滅する。旧東ドイツでは統一の過程で政権交代があり、国内のソ連などの基地を消滅させた。
しかし、日本の新政権が民主党に代わるだけでは、その公算は小さい。
二つ目は、地位協定の改定と、「国内法優位」 「対等性」 の原則の確立。それができれば、弊害除去の可能性は大きい。
93年、ドイツは NATO の補足条約=地位協定を改定、成果を上げた。日本もその気になればできることだ。
三つ目としては、日米合作で米軍再編を進め、その実質で解釈改憲の幅を広げ、結果的に明文改憲に結びつけようとするやり方への対処だ。
9条護憲を型通り唱えていくだけでは有効でない。相手方の 「解釈」 内の問題点それぞれに具体的に壁を立てたり、9条のもち得る積極面を政策化して提案を対置し、
解釈改憲そのものを阻んでいくべきだ。
たとえば、非核3原則、武器輸出禁止、宇宙の軍事利用禁止などは、再確認し、法制化する必要がある。
目前に厳としてある3自衛隊約24万人についても、これをどうするか、具体的に検討、国土警備隊、国際災害救助・復興支援隊、
国連 PKO 参加の国連待機組織などとして、自衛隊のあり方・役立て方を考えていくべきではないか。
その際、コンプレックスの裏返しのような 「対中不敗」 意識をほったらかしにせず、しっかり見直して克服する必要もある。
石橋政権が長命だったらやったであろう誠実な対中改善、細川政権が一旦ではあれ、志した 「多角的安全保障協力構想」 を、新しいかたちで再興し、
日米関係を多極化する世界情勢のなかで捉え直そうとする政権ができれば、中国をはじめとする東アジアの国々の理解と支持も得られるはずだ。
前田講師はこのようにまとめながら、ご自身所属の研究集団 「平和フォーラム」 が05年に発表した 「憲法具現法」 としての 「平和基本法」 の一部を紹介した。
前田講師は、重ねて政権交代の重要性を強調したが、政権を目指す政党・政治集団に対して、「平和基本法」 的なアイデア、
アメリカの戦争への自動的参加を阻む方策を、今問い糺し、きちんと議論していくことの重要性は理解できた。
メディアにそのような役割を、大いに果たしてもらいたいものだと思った。
<セミナー・次回以降の開催予定>
最終回=第6回 7月12日(土) 13時30分 会場:全水道会館(水道橋)
<共同討論>「日本は 『対米従属』 からの脱却と自立をいかに図るか」
パネリスト:前田哲男 (軍事ジャーナリスト・評論家)
山家悠紀夫 (暮らしと経済研究室代表)
古関彰一 (獨協大学教授)
コーディネーター:桂 敬一
会 費:資料代 1000円、学生 800円
申 込 先:日本ジャーナリスト会議 電話:03-3291-6475
2008.7.8
老人がなぜ怒るかを、若者に理解してもらいたい
―両者の生きづらさの根源を取り除くために―
6月25日朝、東京地検公安部が24日、人材派遣大手のグッドウィル・グループ (GWG) の子会社、
日雇い派遣を手がけるグッドウィル (GW) を職業安定法 (労働者供給事業の禁止) 違反幇助などの罪で略式起訴、
これに伴って GWG が GW を廃業する方針を固めたことが、報じられた。容疑事実は同一労働者の二重派遣。
裁判で事実が認定されれば、厚労省はそれを派遣許可の欠格事由とみなし、GW に対する免許を取り消すはずだ。
そこで親グループ・GWG は先手を取って、廃業の挙に出たわけだ。
その日の朝刊で朝日、毎日は大きく報じ、とくに朝日は、詳細な企画報道で 「派遣」 の実態と問題点にメスを入れ、翌日の社説でも 「派遣業界を変える契機に」 と論じた。
だが、日経、読売の報道は小さく、とくに読売はほとんど報道の体をなしていなかったので、呆れるとともに、腹が立った。
確かに翌日26日になると、ブッシュ米大統領が、注目の北朝鮮に対するテロ支援国家指定の解除を発表したので、
この関連ニュースが圧倒的に多くなるという事情はあった。
しかし、6月8日、派遣労働の若者が秋葉原で無差別殺傷事件を起こしたばかりではないか。
その背中合わせのところで、バブル期にディスコのジュリアナ東京で儲け、その後、介護ビジネスが始まると大手業者・コムスンを買収、
介護報酬の不正受給をやった男の支配する事業グループが、派遣労働でも悪事を働いていたことが露見したのだ。
これを大きく取りあげない手はない。
GWG をのさばらせた制度の罪、行政の無責任、そして派遣でしか仕事にありつけない若者、その悲惨な実態を一気に明らかにし、
事態の根本的な解決、本格的な制度改革の必要について読者の理解と共感を呼び覚ます、またとないチャンスといえるからだ。
メディアはそのような大きな怒りを、ときには思い切ってはっきり示すべきだ。老人の私は、そのように怒ることのないメディアに、腹が立つ。
最近、新聞を読み、テレビをみるたびに、腹が立ち、怒ることが多くなっている。それは、私だけのことでもないようだ。
後期高齢者医療制度に対しては、対象となる75歳以上の老人だけでなく、実に広い範囲の高齢者が怒っているが、これも同じ質の怒りだろう。
もちろん、報じられる出来事や、問題となる厄介をつくり出す関係者に、怒りは向けられるのだが、由々しき出来事、深刻な問題を受け止める世間の鈍感さ、
読者・視聴者をそのように鈍くしてしまう、見かけ上の派手な騒ぎを取っ替え引っ替え、断片的に流していくだけのメディアのあり方にも、
老人たちの怒りが強まっているように感じられる。
老人たちの怒りには理由がある。かつて曲がりなりにもなにかをやりつづけ、ここまできた。だが、かねてからあったよきものがしだいに失われていく。
それを取り返そうにも、あるいは昔からの土台に新しいなにものかを付け加え、自分の携わってきたことの延長線上で新たな前進を追求しようにも、もう先がない。
自分のやってきたこと、存在はいったいなんだったのか。すべては無に帰するのか。そこにある普遍的な価値を、今の人は理解しない。
理解してみようともしない。自分が現在所属する、薄く狭い時間的、空間的な層のなかの経験と知見だけで、古くさいものを全部否定し去ることができ、
新しいものが創り出せると思っている。それがいかにとんでもない過ちかということが、年寄りにはわかる。
だが、聞く耳もたぬ若い人にそれを理解させるのは、至難の業だ。
残るのは怒りだ。この怒りを、あるときは大いに示し、理解はされないまでも、重要な警告だけは発しておかなければならない。
そういう思いで、今も厚労省のまえでたくさんの老人が、入れ替わり立ち替わりして、デモを続行している。
後期高齢者医療制度反対のこうしたたたかいは、自分たちの既得権擁護のためだけのものではない。
後代につづく公共的な医療制度の基盤を守るための意味のほうが、よほど大きい。
毎日・朝刊の2面に 「発信箱」 というコラムがある。筆者が交代する方式のものだが、6月6日の 「『信』 を取り戻せるか」 には参った。
後期高齢者医療制度が話題だ。「『これじゃあ、うば捨て山だよ』 『さっさと死ねというのとか』 …と声を荒げる年寄りを目にすると、つらい。
父親や母親に面と向かって、ののしられている気分になる」 「年寄りをないがしろにする気はない。逆に敬意を抱いてきたからこそ、キレたような激高ぶりに困惑してしまう。
…酸いも甘いも知り尽くした人生の先輩には似つかわしくない」 「…鈍い政治など数々の積み重ねが 『信』 をむしばんできた。
だから高齢者は疑心暗鬼になり、現役や孫の世代の負担を論じるに至らないくらい内向きになってしまったのだろう。
とすれば、負担の軽減とか、制度を廃案にするとかで解決するわけでもない」 「『信』 を取り戻すために何をするかが問題なのだと思う」。
まず、問題の医療制度は、「制度」 としてどう悪いかがまるでわかっていない。
社会保障制度としての健康保険制度は本来、全世代を網羅し、加入者には職業、居住地域に関係なく、負担能力の大きいものが多少余計に負担する一方、
医療給付については、支払い保険料の多少に関わらず、だれにでも必要な治療が受けられる程度のものを平等に保障する、という仕組みで成り立つものだ。
だが政府は、財政潤沢な企業の単独保険組合の設立、政府管掌健保からの離脱を許し、健保制度の母体を弱体化してきた。
またアメリカの要望を入れ、健保不適用の医療─―民間保険会社の医療保険が幅を利かす混合医療制度も許し、
社会保障制度としての健保に集中すべき原資を分散させたうえ、今度は高齢者だけの医療制度を事実上、健保から分離、独立採算でやれ、といってきたのだ。
これを許せば、自分たち、今の高齢者が困るという話だけでなく、健康保険制度そのものが消滅してしまうおそれがある。
だから老人たちは怒っているのだ。こういう老人の怒りを理解していないのが、この記事の二つ目の特徴だ。
酸いも甘いも噛み分けて、現役や孫の世代にかかる負担の重さを理解し、国への 「信」 を取り戻して、静かにこの制度を受け入れれば、
この記事の筆者は、そうした人生の先輩を尊敬するらしい。
だが、冗談ではない、われわれがここで矛を収めてしまったら、あんたたち、さらには孫たちがもっと酷い目に遭うんだぞ、といいたい。
秋葉原事件は、格差社会の底にアナが空くといったかたちをとりつつ、実は現代社会の基底が崩壊しだしている状況を、さらけ出してみせた。
政府の派遣制度の導入、その後の度重なる法の改悪による悲惨な状況のなかで、これに反抗するには、
そうした状況が生まれてくるのを放置した社会全体の無責任に対して復讐することだ、といわんばかりの犯罪が起こったのだ。
まるで 「自爆テロ」 だ。メディアはそのような意味をどれだけ真剣に追及しているだろうか。
この事件を、メディアを売れる商品につくりあげる材料として消費しただけのような記事、番組が目につく。
そして、ほかに派手な、新手の事件が出てくれば、それが代わって目につく場所を陣取っていく。
ところで、無料ブログ・サイト、「Hatena::Diary ようこそゲストさん」 に 「革命的非モテ同盟」 を名乗るブロガーが、秋葉原事件について、
『生きさせろ!』 の著者、雨宮処凛さんと、『<丸山真男> をひっぱたきたい:31歳フリーター。希望は、戦争』 の筆者、赤木智弘さんにコメントをうかがった、
とする報告がアップされていたので、読んでみた。雨宮さんは 「不安定雇用が原因のひとつではないかと思う。
…しかし、秋葉原で何の関係もない人を殺したことは間違っている。経団連やトヨタといった相手に労働運動を通じて怒りをぶつけることができればよかった」 と語っている。
これに対して 「起こるべくして起きた事件であると思う。…若い人が亡くなったことは残念だ。
2ch 等では渋谷でやればよかったというような意見があるが、むしろ巣鴨でこれまでこんな社会を作り上げた人をまきこんだほうがよかったというべきだろう」
というのが赤木さんの意見だそうだ。これらに対するコメントもあった。「雨宮は結局派遣労働者を自分の運動の道具としてしか見ていない気がする。
本質は経営者と変わらん。金くれるだけ経営者のほうがましだなw 赤木のターゲットは巣鴨にすべきだったというのはちょっと面白かった」。
赤木さんの目には、現在の怒れる老人も、これまでラクしてきやがって、すべてを奪い、オレたちに何も残さなかった奴ら、とだけしか映らないようだ。
われわれは、自分たちの力足らずは、今の若者たちに詫びなければならない。だが、多くの老人が、若いころからさまざまなよき社会制度のためにたたかってきたのも、
事実だ。だから今も怒らざるを得ない。怒りはますます募る。われわれと若者たちとは、お互い話し合うことさえできない存在なのだろうか。
老人の怒りというと、アメリカの女性平和運動家、アリス・ハーズさんが1965年、政府のベトナム戦争に反対して焼身自殺を遂げたのを思い出す。
享年82歳。敬虔なクエーカー教徒。ナチに追われてドイツから亡命、そうした経験から平和運動に身を挺し、
ベトナムの僧侶・尼僧らの焼身による反戦のたたかいに感銘を受け、みずからも同じ行動で抗議の意志を示したのだ。
日本では1967年11月、横浜の73歳の弁理士、エスペランチストである由比忠之進さんが、やはりアメリカのベトナム戦争に盲従する佐藤栄作首相に抗議、
官邸前で焼身自殺をしたのが、強く記憶に残る。佐藤首相は当時、沖縄返還にこだわっていた。
アメリカの歓心を買って返還を早めてもらうため、ベトナム戦争へのさまざまな協力をすることを、アメリカに約束した。
由比さんはそのやり方に反対した。周囲では、由比さんの行動は、早期の沖縄返還の妨げになる、と批判するものもいたが、佐藤首相のやり方こそ、
今日に至る沖縄の広大な米軍基地、多くの基地犯罪の原因になったことが歴然としており、由比さんの先見性が証明されたといえるだろう。
40年前、由比さんの怒りがどれほどの惑い、絶望との葛藤を繰り返しながら大きくなっていったのか、とても想像できなかった。
しかし、今年11月、亡くなられたときの由比さんと同い年になる私には、激しい由比さんの怒りのわけや、それが人生の終期のなかでどんなことを意味するものなのかが、
よくわかる。それがたたかいの表現だったことは確かだ。
ちょっと評判になった本で 『暴走老人!』 (藤原智美。文藝春秋) という本がある。これも読んでがっかりした。
なるほど、ケータイに馴染めない老人が多い。老人の周辺で情報化も加速している。
そういう環境に取り残され、ケータイや個人化が生む新しいメンタリティが共有できないのも、老人だ。
しかし、だからコミュニケーションがとれず、孤独に苛まれ、キレやすくなった老人が 「暴走する」 というのは、どんなものか。
むしろ、ケータイと個人化に自覚なく馴れてしまい、その範囲内での情報のやりとりをコミュニケーションと勘違いしている若者のほうこそ、危機的なのではないか。
知らないもの同士でも、道ばたで、電車のなかで、お互いに顔を合わせ、目と目を交わせさえすれば、なんとなく雑談できる老人のほうが、
本当のコミュニケーションの力を保持しているのではないか。老人の怒りの根底には、本来のコミュニケーションにつながる、大きなエネルギーが潜んでいる。
怒ることにはいい点もある。新聞を読み、テレビを眺め、そのたびに怒っているが、それが若さを保つ秘訣ともなっているからだ。
だが、新聞を読み、テレビをみて、よくたたかっているなと、大いに感心したいのも本当だ。
若者も老人も、それぞれの立場から、食い入るように紙面に目を走らせ、番組に目を凝らす新聞、テレビになってくれれば、両者の理解、話し合いが成立するのではないか。
ぜひそうなってほしいと思う。
しかし、6月28日の朝刊を開いて、これはだめかもしれないと、がっかりするとともに、また怒りが湧いてきた。1ページ全部を使った全面広告。
舛添要一厚労相の大きな顔。キャッチコピーは 「長寿医療制度について、改めてご説明させてください」 ときた。
ちょっとチェックしてみたところ、全国の新聞全部に出たようだ。新聞社にとっては広告不況が深刻ななか、干天の慈雨というところか。
しかし、後期高齢者医療制度廃止法案が参院で可決され、衆院に回って継続審議となっているはずだ。与野党対立中の審議事項だ。
政治広報のセオリーでは、政府省庁の行政広報は、国会で成立した法律・政策の実施に伴ってなされる、情報サービスに限定されるべきで、
政治的争点について一方の側に立って宣伝するようなものであってはならない―─そのような広報を政府が国税を使って行うのは、公正さを欠く政治広報であり、
行政広報としては許されない、とするのが通説だ。
そんなことは新聞の側は百も承知のはずだ。メディアの独立の原理にこだわる老人としては、やはり黙過することができない。若者の意見も聞いてみたい。
2008.7.3 (7.3 追加)
アメリカ追随型改革が日本経済にもたらしたもの
―国民の暮らしの歪みの根源を山家講師が追究―
マスコミ九条の会主催の 「対米従属」 市民公開セミナー第4回は、「経済は対米従属から脱却できたか―米国経済の傘に覆われる日本」、
講師は、第一勧銀調査部長・同総合研究所専務理事、神戸大学教授を経、現在、民間研究所 「暮らしと経済研究室」 を主宰する山家悠紀夫氏。
基調講演が終わって質疑応答になったら、すでに連続して受講された、耳の肥えた参加者から 「タイトルが 『対米従属から脱却できたか』 だが、
脱却できてないのは明白で、いまさら、できたかというのは、ヘンじゃないか」 とする質問が飛び出したのには、意表を突かれた。
山家講師は当然、「このタイトルは私がつけたのではなくて、私はこれで話せといわれたほうで…」 とおっしゃる。
企画側の一員である筆者が答弁に立った。“60・70年代の高度経済成長は石油ショックはあったが、日本経済が未曾有の発展を遂げた時代だ。
そして85年・プラザ合意後の経済は、1ドルが100円を切り、ソニーがコロンビア映画を、三菱がロックフェラー・センターを、
西武がインターコンチネンタルホテル・チェーンをそれぞれ買収、ジョニ黒が数千円になり、若い女性はブランド目当てにどっと海外に繰り出し、
経営者が 「日本型経営」 を誇り、おっちょこちょいのマスコミや学者が、日本が欧米から学ぶものはない、と豪語していたのを思い出してほしい。
あのとき、本当にその気になっていたら、「脱却」 できていたかもしれない。いまだに解けない問題だ” と、過去形のタイトルに託した意図を説明した。
質問者に理解していただけたかどうか、自信はないが、このあと、山家講師が 「経済の規模の大きさ、強さからみたら、日本はけっしてアメリカに従属していない。
従属しているのは政府・財界の経済政策だ。もうそんな必要はないと思うのに、なぜ従属をつづけ、深めるのか、それがよくわからない」 といわれたのが、実に示唆的だった。
山家講師は、経済政策の従属性の起因と変化を、戦後の日米経済関係史の流れのなかで追跡した。
占領初期のアメリカは日本に対して、経済再建は日本の国民・政府が自らの責任において果たすべきものだとし、
一つは、戦争に責任があったものに対する戦犯裁判、公職追放によって彼らの支配・加入を排除。
もう一つは、戦争放棄と国民主権の原則を確立した平和と民主主義の新憲法・教育改革、さらに財閥解体・農地改革・労働改革などを、自立再建の条件として用意した。
ただ、天皇制を温存、官僚制を利用、間接統治を採ったため、この部分が対米従属の温床となるおそれを残した。
その後、アメリカが、対ソ冷戦政策、社会主義・中国との対決を前面にうち出し、日本を 「アジアの工場」 「反共の砦」 として利用する対日政策に転換すると、
日本の民主化と自立を促す方針は弱まり、代わってアメリカに依存させるのと同時に、日本に軍事戦略面の協力を求める対日政策が前面に出てきた。
アジア諸国への賠償額引き下げ、脱脂粉乳・小麦などの食糧援助、ガリオア、エロア資金の貸与などがアメリカの思し召しだ。
そして、財閥解体の停止・修正、戦犯釈放、特高など公職追放者の追放解除が始まり、1950年には警察予備隊がつくられた。
これがその後、保安隊になり、自衛隊となる。
これらはアメリカの要求でやられたことだ。いうことを聞かぬものは、レッド・パージの弾圧を受けた。これも占領軍の指示によるものだ。
朝鮮戦争休戦の見通しがつくと、日本の独立が日米間で協議されたが、結果的に講和条約は、いわゆる社会主義陣営の国々を排除、
ほとんどがアメリカの許容できる自由主義陣営の国だけとの締結となり、日本は独立と同時に日米安保条約・行政協定に縛られる事態となった。
経済的な面での国際社会への復帰または登場は、IMF (国際通貨基金。1952年)、GATT (関税および貿易に関する一般協定。1955年)、OECD (経済協力開発機構。
1964年) などの加盟によって果たされたが (カッコ内が加盟年次)、いわゆる自由主義陣営への編入だった。
この体制のなかで貿易自由化 (59年)、資本自由化 (67年) も果たし、日本は内需拡大に基づく高度経済成長を達成できるまでとはなった。
しかし、これにいたる間、輸出頼りの日本は、戦後経済の好調なアメリカへの輸出に過度に依存し、
また、朝鮮戦争の特需を奇貨として経済復興のきっかけを掴んだ日本は、ベトナム戦争でも軍需利得を期待、
この戦争で沖縄の米軍基地が強化されていくのを見過ごしにした。
この50年代後半から60年代を通じて、日米両政権は蜜月時代といえるほど、良好な関係となったが、基底部におけるこれらの動き、関係を眺めるとき、
それは矛盾の蓄積期だったともいえるのではないか、と山家講師は見立てた。
矛盾は70年代、80年代に噴き出す。まず、1971年、長引くベトナム戦争に起因する国家財政の赤字、通商上の優位性の低下から、ドルの価値が下落、
ニクソン大統領はドルの金本位制離脱を宣言、事実上の変動相場制に移行した。
円はまたたく間に高くなった。さらに石油ショック (1974年) が襲った。
だが、60年代の設備投資を通じて、新鋭の効率的な生産設備を導入してきた日本は、旧設備を抱えたアメリカより省エネ、工業生産性で優位に立ち、
繊維、鉄鋼、家電、自動車、半導体、工作機械ではアメリカを圧倒、両国間に貿易摩擦が生じた。
さらにアメリカ政府は、主要農業製品、牛肉とオレンジの輸出拡大に迫られており、日本に農業の保護政策を撤廃するよう求めた。
こうした摩擦の時点では、品目ごとの輸出数量規制、輸入関税引き下げ・撤廃の交渉ですませられたが、80年代になると、もっと厄介な状況となる。
85年・プラザ合意で先進5か国は、協力して安定したドル安の局面をつくり、ドル危機を防止することにした。
その結果、1ドル200円台だった円が1年後には100円を割りかねないほど高くなり、実際その後、瞬間風速で100円を下回ったことさえある。
日本では当初、極端な円高が貿易面にマイナスに作用し、輸出減退、製造業不振、雇用収縮などを生み、景気が悪くなると思われていた。
だが、円高は輸入品・外国産物の購買力を飛躍的に高め、国内に空前の消費景気を生んだ。
しかし、食料・嗜好品、小規模生産の奢侈品、海外旅行、日本企業の海外投資はさかんになったが、日本人は大量生産の工業製品、自動車、家電、
半導体・パソコンなどは国産品を購入しつづけたため、アメリカの対日貿易赤字は減りはしなかった。
そこで、個別的な品目・摩擦の処理から包括的な産業・通商構造についての対話へ、貿易から投資へ、アメリカ市場から日本市場の話へという変化が、
日米間の外交交渉のうえの課題となった。そして、中曽根・レーガンの 「市場志向型分野別協議」 (85年)、宇野・ブッシュ 「日米構造協議」 (89年)、
宮沢・クリントン 「日米包括協議」 (93年)、橋本・クリントン 「規制緩和及び競争政策に関するイニシアティブ」 (97年)、
そして小泉・ブッシュの 「成長のための日米経済パートナーシップ」 へとつづく流れが生じた。
このころ、国内経済政策方針のなかに 「規制緩和」 「民活化」 の用語が頻発する。
ついに小泉政権になって 「構造改革」 が決まり文句となったが、それらの出所はすべてアメリカ発だった。
小泉構造改革は、悪名高いアメリカからの 「年次改革要望書」 によって指定された 「改革」 を、毎年実行したかどうか、チェックされていった。
一般に今日に至る消費不振は、バブル崩壊後の不況がつづく 「失われた10年」 のせいだ、と考えられがちだ。
だが、93年ごろ明白となったバブル崩壊後の経済の低迷は、実は96年にはかなり改善されていた。
ところが、97年頃からの日米協議で日本への 「規制緩和」 「構造改革」 導入が本格化するのに連れ、景気は再下降、
それがとくに勤労者・消費者の暮らしを狙い撃ちするようになったのが実情だ。
アメリカのレーガン、イギリスのサッチャーが信奉したのが、経済学者、フリードマンの理論。
その特徴は、サプライサイド=供給者・企業側に利益を生み出す活力を与えれば、経済全体も活気づき、労働者にも生活者にもいい結果がもたらされる、とするもの。
規制緩和、民営化、小さな政府が提唱されるわけだ。
そして、日米経済協議で日本に押し付けられたのがこうした理論に基づく 「構造改革」 だった。その結果、どんな現象が生じたか。
給与所得者の平均賃金は97年をピークに下がりつづけ、06年は約10%減少。90年と06年の対比で正社員は減少、非正社員は倍増、非正社員比率は20%が33%へ。
97年は18.0%だった年収200万円未満の層が06年22.8%、1000万人を超えた。
勤労者の実収入は97年に対して06年約12%減少、多くの人の生活が苦しくなった。
98年に約2万4千人だった自殺者が99年3万人を大きく超し、これ以降、3万人の大台が毎年つづいている。
一方、国民可処分所得の変動をみると、「家計」 は97年310兆円が、06年はマイナス16兆円の294兆円。
これに対して 「企業」 は97年20兆円が、06年はプラス15兆円の35兆円だから、母数からみて 「企業」 の儲け増加率がいかに大きいかがわかる。
絶対額をみれば、「家計」 分のマイナスのほとんど全部が 「企業」 に移った結果となり、経済学でいう 「所得の移転」 を絵に描いたようだ。
「企業」 は派遣法の重なる改悪で人件費のコスト削減に恵まれ、民営化でビジネス機会を増やしてもらい、法人税の引き下げにも預かった。
「家計」 は収入低下に加え、実質所得税の増加 (減税の撤廃等)、社会保障の切り下げ・負担の増加などで苦しめられてきた。
企業アンケートでは 「構造改革」 は大歓迎の結果が出ている。
もちろん、アメリカも大歓迎だ。資本規制撤廃でアメリカの企業は日本に自由に進出、日本の企業と同じような会社経営ができることになった。
「年次改革要望書」 の注文が通ると、事業活動の範囲が広がった。耐震偽造で問題になった建築確認申請手続きの簡略化も 「要望」 が生んだものだ。
金融・保険の進出自由化で、社会保障が後退する傍ら、米系医療・年金保険会社のCMが、テレビに氾濫するようになった。
不良債権処理でしくじった銀行をアメリカのファンドが安く買収、体質改善したあと、高く売り飛ばした。教育・医療、簡保の民営化も狙われている。
各年の 「要望書」 内のレビューで小泉政権は高く評価されてきた。
このように仔細にみていくと、「構造改革」 とは 「日本経済をアメリカにとって都合のいい経済構造に変える政策」 と定義できるのではないかと、
山家講師は結びの部分で語った。このような 「構造改革」 は一般の人々にとっては、所得、雇用、社会保障、何一つとってもいいことはない。
結果的に内需が伸びないのだから、輸出によって成長が追求できる企業にはいいかもしれないが、多くの企業にとっても、それはいいものとはいえない。
日本経済そのものも、一段と海外依存型に陥るおそれがある。にもかかわらず、なぜこのような対米追随が止まらないのか、
かえって強まるのか─―それには経済学的根拠があるのか、と山家講師は自問をつづけた。
日本の政治家、財界人、学者、マスコミ人の多くが、根拠のない、漠然とした、アメリカはいい、進んでいる、アメリカに学ぶべきだとする思考から抜け切れず、
「追随」 という意識の生まれる余地さえ、ないのではないか。アメリカに守ってもらっている、従わないと大変なことになるとする恐れ、引け目もあるようだ。
しかし、中南米やフィリピンの、軍事的な面も含めたアメリカ離れをみると、対米関係はいかようにも変えられるものであることがわかる。
また、最近の日本、「構造改革」 を進めてきた日本に、進んでアメリカと一体化しようとする勢力とその動きが強まっている点にも、注意が肝要だ。
財界では今、海外売上げが70%以上を占めるキャノン、ソニー、トヨタ、それについで大きい東芝、三菱重工など、対外取引の比重の大きい企業や、
外資株主が60%のオリックス、50%のキャノン、ソニー、それにつぐ武田薬品、三菱重工など、外資株主比率の高い企業が主導権を握っている。
こういう企業は、新自由主義とグローバリズムの海外市場で、アメリカ並みにやっていければ、国内市場が犠牲になってもかまわないとする体質に、なりつつある。
また日本政府自体が、外貨準備積み立てやアメリカ国債保有によって巨額のドル資産をもっている。
日本本体の財政や経済がガタガタになっても、その資産価値だけは守らねばと、アメリカに気兼ねするようなところがある。
しかし、アメリカは対日債務の返済や償還がむずかしくなれば、インフレ政策によって日本のドル資産価値を、ドラスチックに減殺することができる。
このように、従属とは意識されないまま、日本側の内部の変化から従属が客観的に必然化され、それが危機的な問題を生むことになる心配があるところに、
今われわれは立たされている。こうした 「経済政策の従属性」 の実態を、もっともっとはっきりさせ、日本に暮らす人々の生活を守るためにどんな改革が必要か、
真剣に考えていかなければならない。
山家講師の話を聞いているうちに、イギリス労働党がいいだした 「大砲かバターか」 の命題を思い出した。
増やすべきは戦費か福祉費かの議論を、これで国民のあいだに広げたのだ。この古典的命題が今、新しい意味をもちだしている。
これをもう一度取りあげ、真剣に検討してみる必要がありそうだ。
毎年約5兆円もの防衛費が使われている。さらに思いやり予算が別枠にあり、新しく出てきた在日米軍再編促進特措法による補助金もある。
次回は、いよいよ日米安保、自衛隊の問題。多数の方の参加を期待します。
<セミナー・次回以降の開催予定>
第5回 7月 4日(金) 18時30分 会場:岩波セミナールーム
「日米安保と自衛隊の変質 米国の世界戦略は日本に何を求めるか」
講師:前田哲男・軍事問題評論家
第6回 7月12日(土) 13時30分 会場:全水道会館 (水道橋)
<共同討論>「日本は『対米従属』からの脱却と自立をいかに図るか」
今回講座講師3名がパネリスト
コーディネーター:桂 敬一
参加 (有料) ご希望の方は、日本ジャーナリスト会議事務局にお問い合わせを。 (電話:03-3291-6475 ファックス:03-3291-6478)
2008.6.26
対米従属とナショナリズムの捻れがもたらした閉塞
―早野記者が解明する戦後保守政治の軌跡と問題―
「二つ質問があります。日本は広島・長崎でアメリカから酷い目に遭ったのに、なんで戦後あっさり “入米”、“従米” になったんでしょうか。
アフガンやイラクの人たちは占領下でも抵抗を止めません。二つ目は、秋葉原で事件を起こした若者も、集まった若者も、みんなバラバラです。
韓国の若者には、BSEでアメリカに妥協する李明博大統領に一致して反対するナショナリズムがある。どうして日本の若者はこのようになれないのか。
以上二つ、お尋ねします」。
マスコミ九条の会の 「対米従属」 公開市民セミナー第3回は、朝日新聞コラムニスト、
早野透記者を講師とする 「ナショナリズムと対米従属の捻れ―戦後保守が作った日米関係」。
講師の基調講演が終わり、質疑応答に移った途端、若い参加者から飛び出した質問だ。
「第1問については、みんながそうならと、一つの極から反対の極へ一斉に振れていく、日本人の情けない国民性のせいかとも思うが、やはり私にも疑問が残る。
ひとりひとりにエンジンがなく、全体が固まって筏のように流されていく日本人を、西欧の知識人は非哲学的民族と批判する。
しかし、憲法9条はまさに哲学的理念。これを貫くことで日本人は変わっていける。
日本の若者も2005年、小泉郵政選挙のとき、ネットの穴ぐらから2チャンネル・ナショナリスト集団といった趣で突如出現、小泉を勝たせた。
さらに赤木智弘さんが、“丸山真男をひっぱたきたい” “希望は戦争にしかない” で登場すると、にわかにロスト・ジェネレーションの旗手みたいになった。
一方で、雑誌『ロスジェネ』 (かもがわ出版) が創刊され、派遣の労働組合化が進展している。
こっちが大きくなればアキバ的弱点は克服できるだろうが、2チャンネル・ナショナリズムが強くなると、それは 「反中」 「反韓・反朝」 も強め、今よりずっとおかしくなりそうだ。
韓国には、独立闘争、李承晩独裁打倒、光州事件、全斗煥体制反対・民主化闘争など、血を流し、自力でかちとった民主主義がある。
日本の民主主義はこのように自分でかちとったものではない。自分としては今、9条と非正規雇用の問題をどう結びつけるべきか、一生懸命考えている。
その答えの出し方いかんでこれから先、日本が右に振れていくのか左に振れるのか、大きな違いが出るのではないか」。早野記者は若者に問い返した。
このやりとりで会場にある種の熱気が生じた。質問者・回答者の問題提起・考察の両方から示唆を受け、満席の聴衆ひとりひとりが、自分だったらどう考えるかと、
頭を巡らしだしたのだ。講師と受講者という垣根も取り払われた雰囲気になった。
実際には講師としての早野記者の講演は、戦後主要政権における対米政策の変化のあとを丹念に辿る、堅い話だった。
だが、講演が終わり、戦後保守の生んだ現在の閉塞と危機がはっきり示されたとき、今の問題としての 「ナショナリズム」 「対米従属」 を、
ひとりの日本人として自分はどう考えるべきかとする生々しい問題意識を、聴衆は掻き立てられたのだ。
早野記者によれば、ナショナリズムは、国家間のパワーゲームの産物─―他国に対する自国の正当性や国力の示威、国民統合、
愛国心の涵養などを通じてつくられてくるものだ、とされる。
ところが、戦後日本の平和憲法=9条は、カントの 「永遠平和のために」 に示された思想に源流を発し、
また第1次世界大戦の惨禍に対する国際的反省から生まれた 「パリ不戦条約」 にも根拠を置くものであり、国家間抗争のなかの支配・従属とか、
ナショナリズムとかを超越したところにある、と考えるのが早野記者の議論の出発点となっていた。
新憲法第9条は、敗戦直後のひととき、すぐ朝鮮戦争、再軍備などがやってくる直前、一瞬現れた青空の下で、奇跡的に生まれた。
敗戦日本の実質的な最初の政治リーダー、吉田茂首相は、占領者・マッカーサー元帥と対等に付き合える政治家としてのポーズを保持することに腐心した。
そういう芸当ができる政治家は、彼しかいなかったともいえる。そのコツを、「よき敗者 (good loser)」 に徹することだと、吉田自身が語っている。
彼は占領軍の初期の改革、民主化政策を進んで受け入れた。もちろん新憲法も受け入れ、非武装こそが日本の最良の安全保障政策だと、国会で演説した。
このとき占領軍に向かい合う吉田を支えたものは、天皇制ナショナリストとしての矜持だったのではないか。
それがアメリカの無理難題に向かっていく鼻っ柱の強さにもなった。
占領軍方針が冷戦政策のなかで変わり、朝鮮戦争勃発とともに日本に対する再軍備の要求が強まると、吉田は、無理をすれば自主経済を不能にし、
軍閥復活、反米・共産化を招くと、アメリカを恫喝、最小限の警察予備隊の創設程度に止めさせた。
代わりに独立後の米軍駐留を受け入れたが、集団的自衛権は強いられない保障も確保した。
しかし、吉田や同時代の政治家、椎名悦三郎らには、米軍は日本を守る 「番犬」 だとする考え方があり、その 「エサ代」 は負担しなければならない、と思ったのだ。
だが、9条を変えるとか、核武装をするとかの考え方は、本心は別として、当時の状況ではなかったようだ。
しかし吉田は、単独講和によって独立を実現させたが、それは事実上の占領体制の継続を伴い、
米軍の広範な軍事行動に日本も協力しなければならないとする日米安保・行政協定が結ばれたため、今日につながる対米従属の基本構造と、
9条との原理的矛盾とを、残す結果になった。
坊ちゃん育ちの鳩山一郎が首相となり、坊ちゃんナショナリズムを発揮、再軍備を目指すと、9条改憲の危機を感じた有権者は、左右社会党に票を集中、
両者が統一して改憲阻止の3分の1の衆院議席を確保した。すると対抗上、保守も合同、自由民主党にまとまり、いわゆる55年体制ができあがる。
保守の舵取りは、経済優先で国民の支持を集め、改憲は解釈でいくこととし、自衛隊を出現させた (自衛隊法成立)。
大きな変化は、60年日米安保改定を主導する岸信介内閣のとき、訪れる。
戦争中の商工大臣で、戦犯容疑者とされた岸首相は、アメリカと対等の日本を実現することに執着する、いわば戦犯ナショナリストだった。
池田・ロバートソン会談、MSA (日米相互防衛援助協定) 調印のあと、アメリカのダレス国務長官は日本に対して、日米安保の大幅な内容的変更を求め、
日本に大きな双務性を担えと迫った。岸はそれを受け入れる姿勢は示しつつ、米軍の配備と使用についての事前協議、日本の自主防衛力の漸増、
日本の旧領土・米軍基地・沖縄施政権などの返還を求めた。
そして最終的には当面、解釈改憲でいき、集団的自衛権の行使は日本に義務づけず、自衛隊の海外派遣はしないこと、
その代わり、米軍は極東、朝鮮半島における戦闘行動での在日基地の利用、沖縄への核持ち込みは日本の同意なく自由にできることなどで、両者合意することになった。
核兵器の持ち込み・通過、朝鮮半島有事の際の在日米軍基地からの出撃は、一応事前協議の対象となったが、密約でそれは不要とされたのだ。
密約は今日もなお、日本政府によれば、ないことになっているが、米国の公文書の公開で、それがあったことは証明されている。
岸政権は沖縄返還は実現できず、それは弟の佐藤首相の政府に委ねられた。
日本の非核3原則を正式に表明した佐藤政権はこれでノーベル賞をもらい、「核抜き本土並み」 の沖縄返還を実現したことになっているが、
岸時代の密約のため、本土・沖縄とも核抜きは不完全で、さらに安保の自動継続をアメリカに約束、これを対米従属の縦糸として残した。
また沖縄の基地も、事実上はそのままで、この部分が今も、対米従属を最も痛感させるものとなっている。
田中角栄首相は、アメリカ一辺倒でなく、対極で中国との国交正常化を実現、両者のあいだでバランスを取っていく日本外交というスタイルを考え出した。
本来これは、アジアの緊張緩和、日米安保の解消に向かう道につながるはずだった。
だが、ニクソン訪中で先に国交正常化を果たしていたアメリカに対して中国が、
日本の将来の軍事的暴発を防ぐ観点から日米安保はあったほうがいいと述べ (日米安保 「ビンのふた」 論)、
アジア規模でアメリカに日本を抑える役割が期待される、おかしななりゆきが生じることになった。
その後の米ソ緊張緩和 (デタント) の流れのなか、歴代内閣は防衛費 1%枠順守 (三木内閣)、
駐留米軍への 「思いやり予算」 開始 (福田内閣) など、対米軍事関係に新しい変化が生じたが、冷戦末期の最後の段階で中曽根康弘首相は、
米レーガン政権とのあいだに 「ロン・ヤス関係」 と自称する緊密な関係づくりに励み、「日米は運命共同体」 「日本は不沈空母」 と唱える戦略構想をうち出した。
中曽根のこだわりには旧制高校ナショナリズムといった色が濃く、岸と似たところがある。
その構想は、防衛費の増加、自衛隊の軍事的行動範囲の拡大を特徴とし、集団的自衛権の議論に火をつけた。
結果的には、憲法違反となる集団的自衛権の行使は不可だが、米軍への経済援助は禁じられていないとか、日本救援の米艦船の護衛は個別的自衛権の行使だなど、
合憲の範囲を解釈で拡大、日米共同の軍事行動の可能性を広げる方向が追求されていった。
そして、このような状況を一変させたのが、@ 冷戦崩壊・湾岸戦争、A ブッシュ政権・小泉政権・「 9・11」 だった。
@ 冷戦崩壊・湾岸戦争:米ソ対決の冷戦構造の崩壊は、アメリカの世界一極支配構造を現出させた。
それは、冷戦体制の下でアメリカに従っていくという仕組みとは違い、アメリカ主導の 「国際貢献」 にどう対応するか、とする問題を日本に突きつけた。
1990年のイラクのクエート侵攻が引き起こした湾岸危機、翌年の湾岸戦争の勃発は、この問題に火を点けた。
パパ・ブッシュは日本に、人的貢献も含めた多国籍軍への参加を求めた。
憲法の制約を理由とする日本は動けず、見返りにたくさんの戦費を拠出したが、アメリカの侮蔑にさらされた (海部内閣)。
戦後の自衛隊掃海艇のペルシャ湾派遣に踏み切った日本は、小沢一郎自民党幹事長のリードの下で自衛隊の 「国際貢献」 への協力の可能性を追求、
戦後・平時の国連平和維持活動を支援するPKO協力法を制定した (宮沢内閣)。
その後、同法による自衛隊の派遣・活動は、カンボジア、ゴラン高原、東チモールで実施されている。
村山党首を首相に送り、自民と連合政権を作った社会党が自衛隊合憲論をうち出したのも大きな変化だ。
だが、村山政権下で95年、沖縄米兵・少女暴行事件が起こり、つぎの橋本政権下で普天間基地返還の日米合意が成立した。
橋本内閣は日米安保新ガイドラインでもアメリカと合意し、小渕内閣はこれに基づき、周辺事態法を策定、
日本列島に対する攻撃への地理的防御を想定してきた日米安保を、地理的には無限定な、「周辺事態」 とされる状況に対処する、広範な軍事条約に変質させた。
A ブッシュ政権・小泉政権・「 9・11」 :ブッシュ政権がニューヨークの 「 9・11」 攻撃への報復としてアフガニスタン、イラクへの戦争を開始すると、
小泉首相は躊躇なくブッシュ支援に踏み切り、アフガンへはテロ対策特別措置法を作り、インド洋上に海自艦を派遣、米軍などの艦船に給油補給を行った。
イラクに関してはイラク人道復興支援特措法を制定、空自機を送り、米軍への兵站輸送に当たらせ、サマーワには陸自駐留部隊を派遣した。
それらの違憲性が国会で問題になると、首相は 「戦闘地域か非戦闘地域か、わかるわけがない。
自衛隊がいくんだから非戦闘地域でしょう」 というような無責任な答弁に終始した。
そして、このようないい加減な議論で、これまでの政権が曲がりなりにも憲法問題として考えてきた安全保障の議論の枠組みを、一気に壊したうえ、
さらにその勢いで有事法まで成立させてしまった。
そのやり方を、ブッシュのイラク政策の過ちと失敗が明白になるのに伴い、最悪の対米従属と国民が意識し、
さらに憲法9条の危機とも受け止め、読売の今年4月の世論調査でも、9条改憲について賛成 (かつての中曽根支持) 30%、
反対 (同じく宮沢プラス土井支持) 60%という回答結果が出る事態となった。
小泉郵政選挙の遺産をもらって安倍政権が生まれ、彼は任期中の改憲を標榜、教育基本法 「改正」、憲法改正国民投票法の成立まで強行したものの、
未熟な過激さから自壊、改憲の課題は後に残された。彼の 「戦後レジームからの脱却」 のスローガンは、戦後保守の鼻祖、吉田の敷いた路線を転覆するものだ。
これはかつてなかった保守の変化、あるいはもう保守とはいえない新しいイデオロギー政治の提唱というべきだろう。
「ナショナリズム」 も 「対米従属」 も、ともに絡み合ってこのような混迷のなかにあるのが、現状ではないか。
早野記者は以上のように語ったのち、ほかの質問にも答え、「対米従属は、日本の政治が自分の基軸、原理とするものをもたず、
アメリカの出方に振り回されるところから生じてきた。ナショナリズムは原理にはならないが、9条は原理となり得る」 「吉田的独立、岸的独立はまずい。
それがこんなに基地を残してきた。これはよくない、そうではない独立をという考え方が出てこないといけない。
この点ではジャーナリズムにも問題がある」 「しかし、なにもかもメディアが悪い、とする言い方だけの批判ではだめだ。
実際には現場で頑張っているたくさんのジャーナリストがいることも忘れず、いい仕事に気付いたら声援を送ってほしい」 と語った。
冒頭に記した若い質問者が、「私は早野さんが書いている連載、“ポリティカにっぽん” のファンです。
楽しみにしているので、なんとか掲載回数をもっと増やしてください」 と、質問に先がけて注文をつけ、ほかの参加者の笑いと拍手を誘っていたのが、印象に残る。
<セミナー・次回以降の開催予定>
第4回 6月20日(金) 18時30分 会場:同上
「経済は対米依存から脱却できたか 米国経済の傘に覆われる日本」
講師:山家悠紀夫・暮らしと経済研究室主宰
第5回 7月 4日(金) 18時30分 会場:同上
「日米安保と自衛隊の変質 米国の世界戦略は日本に何を求めるか」
講師:前田哲男・沖縄大学特任教授
第6回 7月12日(土) 13時30分 会場:全水道会館 (水道橋)
<共同討論>「日本は『対米従属』からの脱却と自立をいかに図るか」
今回講座講師代表3名がパネリスト
コーディネーター:桂 敬一
参加 (有料) ご希望の方は、日本ジャーナリスト会議事務局にお問い合わせを。
(電話:03-3291-6475 ファックス:03-3291-6478)
2008.6.17
秋葉原・通り魔事件と霞ヶ関「居酒屋」タクシー
―メディアはこの国の自壊を止められるか―
新聞休刊日・6月9日(月) の前日=8日(日)、12時半ごろ、東京・秋葉原電気街の交差点路上で通り魔事件が起こった。
当日は夕刊なし、翌日も朝刊がないため、NHKの昼過ぎの臨時ニュースに始まり、その後24時間以上、報道はテレビの独壇場となった。
歩行者天国の混雑のなかでの無差別連続殺傷事件、犯人はその場で現行犯逮捕。
滅多にないスペクタクルに出会ったテレビは、接近したところからの負傷者・救助者の姿、緊迫した犯人逮捕のシーン、空中から俯瞰した、
現場を取り囲んだ大勢の群衆の光景など、変化に富んだ劇場型の映像報道を繰り広げた。
夜には犯人は青森県出身の、現在は静岡・裾野市に住む25歳の男性派遣社員であることがわかったが、犯行動機など、
なぜこんな事件が起こったかの事情を理解させる事実は、何一つといっていいほど、わからなかった。
新聞が追いついたのは、ようやく9日(月) の夕刊から。
しかし、この段階でも記事といい写真といい、新聞はどれも、テレビがそれまでに報じたことをどこまで超えられたかといえば、あまり差はなかった。
一方、秋葉原・通り魔事件の記事で溢れかえった夕刊の紙面には、沖縄県議選 (8日開票) が与党の過半数割れに終わったという注目すべきニュースが、
あまりにも小さくしか出ていないのが気になった。
青森で開催された主要8か国 (G8) と中国・インド・韓国の11か国エネルギー担当相会合も、8日に閉幕していた。
直前にニューヨークの原油取引価格が140ドルにも達する情勢となり、また開催間近の洞爺湖サミットの成否を占う意味もあり、
この会議の結果をどう評価すべきかとする問題があったのに、これも報道は小さかった。
6日に野党が参院で可決した後期高齢者医療制度廃止法案に関する続報、米大統領・民主党候補選におけるクリントンのオバマ支持表明のニュースも、
ともに扱いが小さく、不満が残った。
「相手は誰でもよかった」 「たくさん殺せば、死刑になれるだろう」 などと犯行者が口走る連続無差別殺人事件が、
折しも大阪教育大附属池田小学校の児童殺傷事件が起きて7年目の同日に生じわけだ。
しかも今年は、1月の東京・品川における戸越銀座商店街事件 (犯行者は16歳少年。死亡者なし)、
3月の茨城・土浦市でのJR荒川沖駅前事件 (犯行者は24歳青年。死者1・負傷者7) と、類似の事件がすでに2件も起きていた。
さすがにテレビも新聞も、こうした風潮を不気味に思い、なぜこんなことが傾向的に起きるのかとする問題意識を、今度ばかりはかなりはっきり前面に出した。
政府も、福田首相が官邸に泉信也国家公安委員長を呼び、「社会的背景も含め (て検討し)、対応策を考えてほしい」 と指示した。
泉委員長は、おそらく記者団に問われてであろう、ナイフの規制強化について 「そういうことも視野に入れて考える」 と述べ、検討する考えを明らかにした (読売報道)。
だが、一部の特殊なナイフ類の販売・所持を規制したところで、このような事件の根本原因を取り除くという点では、ほとんど役に立たないのではないか。
むしろ福田首相のいう、「社会的背景」 を考えたうえでの 「対応策」 こそ、検討が急がれるというべきだろう。
さらに 「社会的背景」 の検討は主に、不条理な犯行に走りそうな人たちについてなされるものとなるだろうが、今度の事件をめぐっては、
検討の矛先は単に犯行者の成育歴や職業環境、心理状況などに対してのみなされるに止まらず、現代社会のあり方、
その構造的な病理そのものにも向けられる必要があるのではないか、と思える。
また、現代社会の特質や人びとの社会的性格の形成に大きな役割を演じているメディアのあり方、問題にも、検討が加えられてしかるべきであろう。
一足飛びの乱暴な議論になるかもしれないが、いまメディアは、読者・視聴者に対して、このような事件の 「社会的背景」 をわかりやすく的確に解明、
そこに潜む重大な問題点を摘示するとともに、その解決方法まで具体的に提案できるかどうか、問われることになっているのではないだろうか。
8日=日曜夜のNHKは、大河ドラマ 「篤姫」 で週間第1位の高視聴率を稼いでいた。
そして、その直後の8時45分、日曜編成のニュース・天気予報は0.9%の差で第2位、23.9%という、ニュースとしては破格の高視聴率を獲得した。
この時点ではまだ、事件の断片的な情報を繋ぎ合わせただけのニュースなのに、これだけの視聴率を取ったのだ。
その背景には、多数の視聴者が事件に 「なぜ」 とする大きな疑問と深刻な不安を抱き、自分が今いるこの社会の病をどう理解すべきかとする、
真剣な関心を寄せる状況が生じていた、といえよう。
メディアはこのような読者・視聴者の潜在的な期待にどれだけ応え得ているだろうか。翌日=9日の夕刊をみる限り、
犯人の青年の生い立ちや近況、ネットに同時進行的に書き込まれた犯行までの言動、憎むべき犯行の残酷さ、
悲運に遭遇した犠牲者の姿・家族の嘆きなどは精力的に報じられていた。
だが、9日夕方の段階では、「社会的背景」 の全体的な姿を浮かび上がらせるだけの十分な報道は、まだみられなかった。
ただ、毎日の報道が、犯人の青年は6月初めごろ、同月末で派遣が打ち切られるものと誤解、5日に作業場にいったところ、
自分のツナギ (オールインワンの作業衣) が見当たらなかったのを解雇に伴う撤去と思いこみ、5・6日と欠勤 (7日=土曜は休日)、
8日に犯行に至ったとする経緯を報じており、「社会的背景」 の一部を理解させる重要な手がかりとして、目を引いた。
また同日の夕刊各紙は、犯人のネット書き込みを、犯行と同時進行の部分に焦点を絞って報じたが、時事通信 (9日12時28分配信) が、
それ以前、6日の部分に着目、彼が同日未明から 「(職を失って) 住所不定になったのか ますます絶望的だ」 「やりたいこと…殺人 夢…ワイドショー独占」
「誰にも理解されない 理解しようとしない」 と書いた部分を伝えていたのが、注目にされた。
「社会的背景」 の別の部分や、メディアに関する問題も、浮かび上がらせていたからだ。
これに比べると、8日に独走した観のあるNHKは、しだいに 「社会的背景」 の究明から後退する兆しをみせるようになった。
9日夜、8時45分の 「首都圏ニュース」 はトップで秋葉原・通り魔事件翌日の現場をハイライトしたが、それは犠牲者の友人・知人、
そのほかの現場を訪れた人のインタビュー構成のかたちをとっていた。
最初の若い女性は 「彼女はこんな目に遭うために生まれてきたんじゃない」 と友人の悲劇を嘆き、涙ぐんでいた。
つぎの中年の男性は 「何も関係ない人になんでこのような酷いことをするのか」 と、憎むべき犯人への怒りをみせた。
3人目の若い女性は 「犯人は自分と同じぐらいの若い人だけれど、なんでこんなことをするのかわからない」 と、理解不能な相手に対する絶望感を表した。
それぞれ実感が籠もった、一見バランスよくできているこのインタビュー構成を、どう受け止めるべきだろうか。
被害者の運命は同情し尽くせぬほど痛々しい。では、その反作用で加害者を激しく憎み、厳しい懲罰を科せば問題は解決できるのだろうか。
また、身勝手な鬱憤を相手かまわぬ第三者への殺意に変えるようなものは、容赦なく社会から抹殺すればよいと言いきれるだろうか。
さらに、自分と同年輩の人が理解できないというとき、理解できない相手のほうだけに問題があるのだろうか。
理解できない自分のほうにも、実は問題があるのではないだろうか。これらの視点設定では、「社会的背景」 の片側、得体の知れない犯罪の結果に嘆き、
あるいは怒り、苛立つ人びとがこの社会にますます増えているとするだけの報道から、一歩も抜け切れないのではないかと、いわざるを得ない。
問題となる 「社会的背景」 とはそもそも、動機不明な無差別殺人などを犯す人たちが属する社会の側の事情を指すものであろう。
その事情をより大きな社会的文脈に即して検討、彼らがどういう人たちなのか、なぜこの社会に犯行者として相次いで出現するのか、などの因果関係を解明することこそ、
今報道に求められる作業なのではないか、と考える。
私の大学教員としての体験からも、1997年に当時の日経連 (日本経営者団体連盟。2002年に経済団体連合会=経団連と合体、
日本経済団体連合会=経団連となる) が、大学新卒者の会社訪問は4年生に対して8月から、求人内定通知は同じく11月からそれぞれ解禁、
としてきた就職協定の破棄に踏み切り、加えて労働者派遣法が改悪され、1999年から一般事務職にも派遣利用が解禁されると、
全体としての新卒者の正規社員就職率が急速に低下し、さらに偏差値の低い大学ほど就職難が酷くなるかたちでの大学間の就職格差が広がっていったことを、
まざまざと思い出す。
98年の新卒者は全体として3分の2しか正規社員としての就職ができず、あとはフリーターになっていったはずだ。
それが2003年になると統計上、正規社員就職者は半分強、残りはフリーター、派遣という事態にまでなった。
就職協定破棄は、通年の求人・入社試験実施となり、学生は3年生の段階からいわゆる 「就活」 (就職活動) に奔走するのが当たり前となり、
その歪みは格付けの低い大学にほど強く出て、3年になると勉強もろくにできず、ますます正規社員としての就職がむずかしくなる不利に見舞われる結果となった。
さらに追い討ちがかけられた。2004年、小泉構造改革によって、従来製造業には禁じられてきた派遣の導入が許されたのだ。
これによって大量の正規社員がリストラされ、その穴をパート、派遣、さらには請負が埋めていった。
彼 (彼女) らは、賃金上昇が望めない有期雇用契約のため、低賃金と雇用継続無保障のせいで、健保・年金・雇用などの社会保険にも入れないものが多く、
雇用契約を打ち切られたとたん、滑り台を滑り落ちるようにホームレスに転落しかねない不安定な状況に、置かれている。
問題は、一度派遣、フリーターで働き始めると、あるいは正規社員からそうした身分になると、学歴には関係なくだれもが、働き場所は変わっても、
あとはもう派遣、フリーターを繰り返していくほかなくなるという、厳しい現実にぶつかることだ。
この繰り返しに上昇はなく、転落がつきまとう。そこに囚われ、出口がみえなくなったものは、社会のあらゆる方向からくる蔑視にさらされていると感じ、
自分については屈辱と孤独に耐える姿しかイメージできず、ついには激しい自己嫌悪に陥いることが多い。
日本で今、このような派遣、フリーターと真反対の位置に、どのような人たちがいるだろうか。
私がすぐ思いつくのは、これもメディアが大騒ぎした、「居酒屋」 タクシーに群がる中央省庁の役人たちの存在だ。
役所のタクシー券で深夜、長距離の客となる役人に、個人タクシーの運転手が缶ビールとつまみを提供するのは、あるいは車中の役人が一息つき、
それでのどを潤すのも、あながち悪いこと、不法なこととはいえない。お互い持ちつ持たれつの生活の知恵だ。
だが、それが数百人もの役人のあいだで10年以上もつづく構造的な慣習となっていた、というのには驚き呆れた。
それで思い出すのが1977年、社会主義体制の下にあったルーマニア、ポーランドを訪れたときのことだ。
入出国審査、通関、ホテル、旅行社、タクシー利用などの場で、すべて国家公務員というべき係員から円滑な業務処理、サービスを受けたいと思うとき、
僅かな心付けが実に有効だった。とくに米ドル (闇ドル) の効用が大きく、1ドルも掴ませると、たいていの場合、厚遇が得られた。
それは、西欧におけるチップのシステムとはまるで違う。それは社会が公認しているものだ。
一方、ブカレスト、ワルシャワでの心付けは、公式には禁じられているが、実際には黙認されている賄賂だった。
タクシーの場合など、対ドル交換レートの高い現地通貨で払わず、米ドル現金で払うと、会社所属の運転手でも喜んでエントツで走り、めちゃくちゃ安い料金にしてくれた。
彼は、そのドルを闇レートで自国通貨に替えれば、規定料金での水揚げを会社に納めたうえ、余りを自分の懐に入れられた。
すべて建前上は禁じられているか、好ましからざることとされているが、広く黙認されていた。
しかし私は、このような黙認の仕組みから生じる利益を手にできる人たちのほとんどが、
権力に近い特権化した層・集団に属するのを発見したとき、この国はやがて滅びると予感した。
権力は、自分の周辺を構成する集団が受け取る賄賂は黙認、その代わり彼らを自分の支配力とより大きな利益の独占の維持に隷従させる一方で、
いつもちょびちょびと賄賂を払わねばならない側、黙認の仕組みからの利益は何も期待できない人びとを、ほったらかしにしていたからだ。
賄賂を挟んで人びとが二分されるこの社会の亀裂は、上からの腐敗による自壊によって、または体制を支える民衆的基盤の崩壊または反乱によって、
いずれ取り返しのつかぬ巨大な裂け目となり、国そのものが立っていかなくなる。そう思ったのだ。
秋葉原の犯人となった若者は、目にみえるカネによってではないにしても、機会、健康、希望、自尊心の止むことのない摩滅によって、
無際限に 「賄賂」 を奪われつづける側に属する一員ではなかったか。
このような人びとが社会の底辺に放置され、ますますその数を増やし、より悲惨な境遇に突き落とされていく限り、土浦、秋葉原の犯人は、
絶えることなく再生されていくのではないか。
一方、「居酒屋」 タクシーには政府も政治家も、さすがに慌てた。けしからん、なんらかの規制措置を取る、と非難を加えた。
しかし、この種の特権の黙認は、けっして根絶できないだろう。政治家は公務員の特権の悪用や放埒を声高に非難する。
だが政治家自体が、もはや三世、四世といった世襲化した特権階層をかたちづくるに至っている。彼らが手に入れる利益は缶ビールどころの話ではない。
道路特定財源・公共事業費・防衛費などの確保、構造改革・規制緩和の拡大、これらに群がる民間企業に対する便宜の取り計らいからは、大きな利益が転がり込んでくる。
また、政治家も企業も、自分たちのあいだを円滑に取り持つ官僚を必要とする。役人は、黙認される別な 「缶ビール」 の分け前に預かれるわけだ。
現代日本もすでに、黙認される利益を当てにできる社会階層と、そんなものは絶対に当てにできないばかりか、
持てるわずかばかりの生活的な根拠を失わされつづける人たちとが、交わることなく二分された社会となっている、というべきではないか。
前者が後者に気付かず、これを放置しつづける限り、社会的参加を拒まれ、そこからから排除される側の人間は、ついには自分の属する社会との同一性さえ失って、
最後の意志を振り絞って自分の存在証明のための自死や、これに代わる他者に対する攻撃へと、暴発する危険がある。
それは 「自爆テロ」 を偲ばせさえする。政治自体にその不作為の自発的な変更が期待できないとき、出番はメディアではないか。
二つの分裂した社会集団のあいだに立ち、弱者の側のコミュニケーションの回路を支配者側に導き、危機的な 「社会的背景」 の実態と、
急を要する 「対応策」 の実現を彼らに、さらには社会全体に知らせることが、メディアに求められている。
不安は残る。メディアもまた、無自覚のうちに特権化した社会階層に属し、こちらの利害には敏感だが、社会的参加を阻まれている側の人たちの危機には、
気付きも理解もできなくなっているのではないか、とする危惧が残るからだ。
「居酒屋」 タクシーに群がる役人の騒ぎが生じたとき、はしなくも、大勢のNHK職員が就業中、日常的に株取引をやっていたという事実が判明したことを、思い出していた。
なんだどっちも似たようなものだ、と思ったからだ。NHKについては例によって報道倫理上の批判を、他の多くのメディアが繰り広げた。
たしかに報道のために知り得た情報をカネ儲けに利用するとは何ごとか、といわねばなるまい。
だが、もっと恐ろしいのは、仕事の合間にささやかな利殖を楽しむ程度の軽い気持ちでいても、それが当たり前のことになれば、
その常識は、株取引などにまったく縁のない人たちの存在を、いつの間にか見失わせる作用を、取引者にたちに及ぼさないわけがない、という点だ。
そうなったらメディアは、彼らの苦悩や絶望に気付けなくなるのはもちろん、彼らの世界に生じている危機が、
日本の社会全体にも当然及ぶものとなることなど、到底理解できなくなる。
NHKだけが問題なのではない。多くのメディア企業、そこの組織ジャーナリズムが、二つに分断された一方、
下層の社会と日常的にいかに隔絶しているかを知るにつけ、危惧は深まる。
2008.6.11
「対米従属」はいつだれによってつくられたか
―古関教授による日本固有の「従属」の特徴の解明―
アジア安全保障会議でシンガポールを訪れた石破茂防衛相は、5月31日、現地でアメリカのロバート・M・ゲーツ国防長官と会談した。
会談でゲーツ長官が、在日米軍再編は 「スケジュール通りの実行が非常に重要だ」 と述べ、沖縄の米軍普天間飛行場の2014年までの移設など、
日米合意の履行を求めたのに対して、石破防衛相は 「誠実に進めていきたい」 と応じた、ということだ (朝日・6月1日朝刊)。
一方、読売 (同日朝刊) によれば、長官は 「(日米で合意した) ロードマップに従い、スケジュール通りに進めることが重要だ」 と述べ、
普天間飛行場移設案の修正に反対する姿勢を改めて示し、石破防衛相も 「その通りに誠実に進めていきたい」 と語った、という。
なお読売は、石破防衛相が、日本は在沖縄米海兵隊のグアム移転に60.9億ドル (1ドル105円として約6395億円) も負担するのだから、
「日本国民への説明責任もあり、お互いに情報提供や意見交換をきちんと行う必要がある」 と求めたのに対して、長官も 「その用意は当然ある」 と同意した、とも報じた。
さらにゲーツ長官は1日、現地での記者会見で、在日米軍人による犯罪に関連して、米軍再編で沖縄の戦闘部隊を削減できれば、
同種の事件の減少にもつながると指摘し、日米政府の当初合意通りの再編実施の重要性を、再度強調したそうだ (朝日・2日朝刊)。
「ウチの若いもんのなかには、もうお前んとこにいたくねえのもいるわけさ。追っ払ってやるから早くいうとおりにしろ。
そうでねえと、奴らがまた悪さしても、わしは知らんぞ」と、脅されているようにも聞こえるが、思い違いだろうか。
いったい何で日本政府は、こんな勝手なことをいうアメリカに対して、大金をはたき、「誠実」 にいうとおりにします、などといわなければならないのだろうか。
「マスコミ九条の会」 企画・主催の公開市民セミナー 「日本はなぜ 『対米従属』 を断ち切れないのか」 の第2回講義 (5月30日)は、
古関彰一・獨協大教授を講師とする 「対米従属の起源をたずねる」 がテーマ。
憲法制定史が専門の古関教授は、占領期のアメリカの対日姿勢の変化を分析、刺激的な見解を披瀝した。
一般に日本人は、戦争に負けたのだから、敗戦国としての日本は、戦勝国・アメリカ占領軍=GHQのいうことを聞かねばならなくなったと、
従属化の淵源を敗戦=屈従という関係のなかに探しがちだ。
だが、古関教授の見方は異なる。占領当初の米政府 (国務省・国防省) は、日本統治の具体的なあり方には直接関与せず、それは占領の現場担当、
マッカーサー元帥が統率するGHQにすべてが任されていたと、まず指摘する。
「天皇及日本国政府の国家統治の権限は、連合国最高司令官としての貴官に従属する (subject to GHQ/SCAP)。
……われわれと日本との関係は、契約的基礎の上に立っているものではなく、無条件降伏を基礎とするものである。
貴官の権限は最高であるから、貴官はその範囲 (日本が受け入れたポツダム宣言の解釈) に関しては日本側からいかなる異論も受け付けない」 と記す、
米統合参謀本部の元帥に発した通達が根拠だ。
そして教授は、GHQのやり方は基本的に、日本も受諾したポツダム宣言の、
「日本を世界征服へと導いた勢力の除去 (6条)」 の忠実な実行を目指すものだった、というのだ。
占領は、日本政府の統治を通じて実施される間接的なものとされ、政府には厳しい従属と強制が及ぼされた。
だがそれは、政府や保守・支配勢力の非軍事化・民主化のかたちを取るもので、国民には各種の強制が直接及ぶことはほとんどなかった。
国民に向かっては、天皇が、ポツダム宣言は国体の護持を認めたからこれを受諾した、と述べたり (終戦の詔勅)、日本政府も自分に強いられた 「従属」 を、
たとえば 「占領軍」 を 「進駐軍」 と言い換えたりし、それらをGHQがとくに咎めることもなかったので、天皇・政府に対する占領軍の厳しい強制は、
国民にはみえにくいものとなっていた。
一方、GHQは、鈴木安蔵たちの 「憲法研究会」 の憲法草案要綱案を高く評価、そのアイデアを新憲法立案に採用したにもかかわらず、
これを日本の国民の前でとくに称揚することもせず、できた新憲法案を、いやがる政府に強引に 「押し付け」、
のちに自民党から 「押し付け憲法」 といわれるいきさつを残した。
天皇制については、神道の政治に結合する部分を否定したものの、私的な部分=天皇家の宮中祭祀の維持・継続は許した。
吉田茂政権は強力に反対したが、GHQはこれを厳しく退け、大逆罪、不敬罪を刑法典から削除させた。
憲法上の天皇の実質的な政治的権限の保有も許さないことにした。
これは、天皇の戦争責任を免責するためであり、新憲法の戦争放棄規定との調和を考えてのことでもあった。
マッカーサー元帥は昭和天皇に全国行幸を奨め、天皇も復興に勤しむ国民をせっせと激励して回った。
昭和天皇は戦時中と違うこの新しい仕事のやり方を、気に入っていたようだ。GHQは昭和天皇に民主化は強要したが、従属化を強いたわけではなかった。
軍の解体、戦犯裁判、財閥解体、農地改革、警察改革=自治体警察創設などは、国民には従属・強制と映るより、解放・自由化とみえたはずだ。
占領批判を禁止する事前検閲制度は、報道・表現関係者には厳しさが痛切に感じられたが、巧妙に隠蔽されたので、一般の人に気付かれることがなく、
国民は見かけ上の表現の自由、知る権利を満喫した。
とくに戦時中禁じられていたアメリカ映画がどっと流入してくると、自由の国・アメリカへの憧れが高まり、「進駐軍」 を自由の体現者、
彼らが持ち込む風俗を新しい魅力的な文化とみなす風潮が広まった。
占領軍は民主化を強く表に出し、日本政府に対する従属の強要はできるだけ後ろに隠した。
日本の政府は政府で、これに屈服しつつも抵抗をつづけ、国民の前では自分が自主的に振る舞っているかのように見せかけてきた。
こうした同床異夢的な 「従属」 隠しが成功した期間──国民がアメリカに対して強要感をほとんど抱くことがなかった時期は1948年、朝鮮が南北に分断、
固定され、中国で人民解放軍の全土制圧が目前に迫るころ、終わる。
米国務省が冷戦政策に転換、日本に対しても民主化推進より、アメリカの冷戦戦略に役立つ国とするための政策の適用を、求めだしたからだ。
GHQ民政局 (GS) のホイットニー准将、ケーディス大佐はこれに反対であり、マッカーサーも最初は彼らを支持した。
しかし、今度は国務省が前面に出てきて、対日政策の転換を直接ごり押しすることになった。大きな転換点は朝鮮戦争の勃発だった (1950年)。
マッカーサーは日本政府に、やがて自衛隊に発展する警察予備隊の設置を命じた。
アメリカのこうした変化に対して、吉田首相は、日本の独立の早期実現に利用できるのを見越して妥協、のちに首相となる戦犯容疑者、岸信介も、
初期の占領方針を 「日本人のモラルの破壊に主眼があった」 と嫌悪していたため、歓迎した。
「逆コース」 (1949〜51年のA級戦犯容疑者釈放・刑期短縮、公職追放解除など) が始まった。
朝鮮戦争がつづくなか、アメリカ側の対日政策の主役は、最初は大統領特使として来日、のちに国務長官となったジョン・フォスター・ダレスに代わる。
大国としての日本の復活を望む政府・保守勢力と、軍事的に役立つ日本を自国のアジア戦略のなかに加えたいとするアメリカ政府との直接交渉が始まり、
サンフランシスコ講和条約と日米安保条約・日米行政協定が調印され (1951年。翌年発効)、日本は独立する。
しかし条約は、第2次大戦の交戦国=中国や、植民地としてきた南北朝鮮を排除するものであり、日本の侵略を受けた東南アジアの国々は、
アメリカにいわれて賠償権を放棄させられた (のちに任意賠償として日本が経済協力援助)。
そのため日本は、アジア・太平洋地域で友好国を失った。
日米安保にいたっては、「日本軍」 は米国の最高司令官の統一司令部の下に置かれる、とするのが当初の米国案だった。
さすがに日本はこれを拒否、それは安保からは外されたが、代わって行政協定24条に、「日本区域における敵対行為」 などが発生した場合の 「必要な協同措置」 として、
事実上加えられることになった。
古関教授は、今日につづく 「対米従属」 の淵源は、アメリカのこのような対日占領政策の転換と、
その帰結点としてのサンフランシスコ講和条約・日米安保体制の成立のなかにこそある、とする見方を提起した。
この時期、占領軍と前面に出てきたアメリカ政府は、日本政府が復古的な政治勢力によってつくられても、自分たちの政策に協力する限り、
その権力の正統性を保障し、民主化を強要することはしなくなった。
日本政府の態度は、国民のアメリカに対する憧れや信頼を利用し、自分たちのアメリカに対する影響力を誇示、国内の支持を取り付けるとともに、
米側には、対日政策の遂行にとって国民多数を統御する自分たちの協力が必要であることを、見せつけるものとなった。
冷戦に目を奪われた国民の多くは、こうしたなかでの新しい 「従属」 の発生、あるいは変化を、正確には見抜けなかったかもしれない。
だが、アメリカの圧力による再軍備の動きがひしひしと感じられる時代にはなっていた。
古関教授は、このような占領終期から50年代初めの 「対米従属」 の特徴として、基地提供条項を含んだ安保条約 (事実上の占領の継続)、
反共の砦 (沖縄・アジア諸国を犠牲にして米軍事戦略優先)、反アジア的性格、米軍事戦略への隷属 (指揮権の事実上の委譲=サンフランシスコ条約・日米行政協定)、
中立化への道の遮断 (アジアで台頭した非同盟主義への参加の妨害。アメリカは中立化を在日米軍引き揚げで脅した)、
米国による岸信介などの 「実力政治家」 の重用、日米政府関係の秘密主義 (情報非公開、CIAの暗躍)、などを挙げる。
さらに教授は、日本は米国の 「何」 に従属したのかと問い、アメリカの冷戦政策に忠実に従い、その従属のなかで秘密外交の体質を強めた日本の姿勢は、
今もなお変わらない、と述べ、アジアにおける冷戦政策固執のため、近隣に友人がつくれず、
ドイツがフランスという 「友」 を得て対米従属から脱したのとは対照的なのが日本だ、と指摘する。
最後に教授は、対米従属に代わる 「何」 があり得るかと問い、国連をどう位置付けるか、日本の独自性=ナショナリズムをどう考えるか、と問題を提起した。
教授はその答えは出さなかったが、「日本は昔から近隣に友をもったことがない。そのくせアメリカ1国だけとはこんな風につながっている。
その異様さに気付かないのはおかしい。国家と国家の関係だけで現在の 「従属」 への対論を出すのではもうすまない時代に、
われわれはきているのではないか」 と感想を述べ、講演を締めくくった。
古関教授の話は大変示唆的であり、いろいろのことを考えさせられた。
一つだけいえば、占領初期の日本国民の、従属感・強要感なき占領時代のアメリカに対する憧れ、信頼、あるいは幻想は、
その後の 「対米従属」 の過程にどんな影響をもたらしたのか、さらには今なお、もたらしつつあるのか、とする疑問である。
思春期時代、フランク・キャプラの映画に感心した筆者としては、多くの日本国民が占領初期に、侵略戦争をしでかしたうえ敗北した自国に後ろめたさは感じても、
戦勝に驕り高ぶるアメリカに屈辱的な従属感を舐めさせられたかといえば、それはあまりなかったはずだとする古関教授の指摘が、よく理解できる。
アメリカの当初の民主化への熱意は、いろいろな意味で信頼できると思えたものだ。そのことから二つの問題が生まれてくる。
第1は、アメリカの占領政策の転換、本国政府のむき出しの日本従属化・利用政策が出てきてからも、多くの日本国民のアメリカに好意を抱き、
憧れる傾向はつづき、それが 「対米従属」 を見抜くことを妨げてきたのではないか、とする問題だ。
とくに、「逆コース」、朝鮮戦争、再軍備、単独講和、60年安保などを経験しない世代は、少年期・幼児期からアメリカナイズされた現代日本文化のなかで育ち、
その底にある 「対米従属」 に気付かされることがなかった、あるいはほとんど気付けなかったのではないか。
第2は、そうした日本国民の好意的な対米感情の保持が、矛盾に満ちた 「対米従属」 の実体を隠していくうえで有効であることを、
日米両政府はそれぞれの思惑から十分気付いており、そのための努力が両体制の側でなされてきたのではないか、とする問題だ。
政府、教育、メディア、いろいろなレベルで、無意識のうちに、あるいはまた秘かな企みの下で、そうした努力がつづけられてきたし、いまもやられているのではないか。
たとえば、2006年の小泉訪米を思い出すとき、彼は半分は本気で、アメリカ文化に心酔しており、半分は日本の政府代表者としてその気で、
日米友好に一役買おうとしたのだと解釈できる、あえなくも 「対米従属」 のあからさまなサンプルとはなったが……。
これらのことを考えるとき、日米関係の虚飾を徹底的に剥ぐことが必要だと、思わざるを得ない。
その場合、「対米従属」 の原点に立ち返って、今につながる問題を検討することの重要性を、古関教授の講演から痛感する。
さて、公開市民セミナー・次回は、古関教授が最後に問題を投じた、対米従属に代わるものとしての日本の独自性、ナショナリズムの検討が、主要なテーマとなります。
多くの方のご参加を期待いたします。
<次回以降の開催予定>
第3回 6月13日(金) 18時30分 会場:岩波セミナールーム
「ナショナリズムと対米従属のねじれ 戦後保守がつくった日米関係」
講師:早野透・朝日新聞コラムニスト
第4回 6月20日(金) 18時30分 会場:同上
「経済は対米依存から脱却できたか 米国経済の傘に覆われる日本」
講師:山家悠紀夫・暮らしと経済研究室主宰
第5回 7月 4日(金) 18時30分 会場:同上
「日米安保と自衛隊の変質 米国の世界戦略は日本に何を求めるか」
講師:前田哲男・沖縄大学特任教授
第6回 7月12日(土) 13時30分 会場:全水道会館 (水道橋)
<共同討論>
「日本は 『対米従属』 からの脱却と自立をいかに図るか」
今回講座講師代表とゲストがパネリスト
コーディネーター:桂敬一
参加 (有料) ご希望の方は、日本ジャーナリスト会議事務局にお問い合わせを。
(電話:03-3281-6475 ファックス:03-3291-6478)
2008.6.3
多極化と不安定化の時代 日本はどう生きるべきか
―金子教授が語る対米関係再構築の課題と問題点―
今日、5月27日の読売・朝刊だけからでも、「ガソリン来月170円台も」 (1面。出光興産の卸価格引き上げ予告)、
「ミッカン酢18年ぶり値上げ」 「ティッシュも来月」 (ともに8面。ティッシュは製紙大手3社の6月につぐ再値上げ) と、身近な生活物資の値上げがあわただしく伝わってくる。
すでにパン・めんなどの小麦粉製品、バター・チーズなどの乳製品や、物価の優等生といわれてきた卵など、食料・食品の値上げが相次いで報じられてきた。
インフレなのだろうか。いや、敗戦直後の極端な物不足と激しい通貨価値の下落が原因のインフレとは、様子が違う。
また、1960年代の高度経済成長時代における名目賃金の上昇、消費経済の拡大に伴う長期にわたった緩やかなインフレとも違う。
70年代初めの第1次石油ショックのときの、急騰したエネルギー・コストを製品価格に転嫁した、不景気の中の高物価=スタグフレーションがやや似ているか。
それでもこのときは、価格上昇要因は単純で、よくみえていた。
しかし今回は、そうわかりやすくない。なんだか知らないが、いろいろなもの全部の値段が、それぞれ異なる原因で、だがいっせいに、競い合って上がりだしている。
私たちの窮迫にお構いなしにだ。おまけに、教育、医療、介護、障害者支援、年金などの公的な費用負担や所得税も、増えだしている。
その先に消費税の大幅引き上げも策されている。このような国民・生活者に対する実質的な経済的収奪の全体的な強化は、なんで起こってくるのだろうか。
私も所属する 「マスコミ九条の会」 は、5月初めから7月にかけて、全体として6回の講座 (最終回はシンポジウム) から成る 「公開市民セミナー:
日本はなぜ 『対米従属』 を断ち切れないのか─―政治・経済・軍事の日米関係の構造を解き明かす」 の開催を企画し、現在順次開催中だが、
第1回 (9日) の講師、金子勝・慶大教授の講義は、強烈だった。
上記のような物価高は、国際的な石油高・穀物高に由来するが、それらは、イラク戦争の負の影響、深刻な地球温暖化、
世界的な農業と食糧の危機を背景として生じており、かつてのどの物価高の状況とも様相を異にする─―これらの背景要因はどれも、
アメリカ主導の新自由主義とグローバリズムの破綻の結果として生じており、世界の地政学的環境は、まったく新しい歴史的段階に突入しつつある、
と指摘したうえで、その証拠こそ、アメリカのサブプライム・ローン問題と、それが世界経済に及ぼす深刻な影響だと、金子教授は強調したのだ。
我々の市民講座の狙いは、現代日本の 「対米従属」 の実態と問題点を解明することだが、とにもかくにも、当のアメリカが今、どんな状態にあるのか、
それがわからなければ、「従属」 の問題点ははっきっりさせられない。
そこで、シリーズ冒頭の講師を金子教授にお願いした。結果は、目からウロコどころか、頬にピンタを喰らい、瞼をこじ開けられたような、爽快な衝撃を受けることになった。
日本のマスコミではいまだに、アメリカの住宅不良債権問題は、低所得者向け貸し付けのサブプライム・ローンだけが話題になっている。
だが、この危機の深刻さは、日本で想像されている以上であり、国際的には、問題はサブプライムだけに止まらず、近い将来、オルトAローン (オルタナティブAローン。
条件の不利なサブプライムと最も優遇されているプライムの間に位置する) も巻き込まれるだろう、と観測されている。
危機の拡大は、グローバルな金融デリバティブによって、当初の債権がいろいろな証券に変えられ、さらにそれらがコマーシャル・ペーパー、社債などにも変えられていき、
その全部が世界中いたるところで焦げ付きだしているのだから、その危機は最終的にどんなかたちとなり、被害がどのぐらい大きくなるかは、まだだれにも予想がつかない。
クルッグマン、スティグリッツなどの経済学者は、第2次大戦後最悪の不況になる、と危惧している。
従来、証券保険は、銀行でなく、モノラインと称される専門の保険会社が行っていたが、不良債権の拡大はモノラインの能力を超えて広がり、
金融市場全体が収縮するなりゆきをみせている。
従来なら金融市場にはヘッジファンドが活発に介入、売買を繰り返してきたが、
不良債権に由来する金融商品が地雷のように埋まっている市場にはヘッジファンドも寄りつかず、彼らは、商品としての実体があり、地球温暖化、農業危機、
開発途上国における輸入拡大などから需要が大きくなり、価格値上がりが顕著となっている石油、食糧などの商品先物取引に積極的に手を出すようになっている。
アメリカの FRB (連邦準備制度理事会) は、銀行・証券会社などの資金繰りを助けるため、低金利政策と通貨の量的緩和を断続的につづけるが、
それによって生じる過剰流動性がまた、石油や穀物の投機を煽り、基礎的な生活物資全体の価格を押し上げる圧力となっている。
住宅バブルの崩壊で不景気に突入、しかも物価高に見舞われ、失業、消費減退、企業倒産など、景気悪化がいっそう募るが、
これに対して金融政策が有効に作動せず、かえって投機を煽り、金融危機を深刻化させるので、国内では解決のめどが立たない。
米政府も FRB も最初は、サブプライムで危機に陥った銀行に対する中東諸国などの政府系ファンド (SWF) の増資に否定的な意向を示していたが、
結局、シティ・グループ、メリルリンチ、モルガン・スタンレーなどが、アブダビ、シンガポール、中国などの SWF から増資を受けることとなった。
石油の値上がりも、アメリカの世界市場支配力で沈静化、安定化することはもうできない。
世界の石油市場は、サウジアラビアのアラムコ、ロシアのガスプロム、中国の CNPC、イランの NIOC、ベネズエラの PDVSA、ブラジルの ペトロブラス、
マレーシアの ペトロナスの7つの国営企業に支配されており、アメリカはこれらと折り合いを付けねばならなくなっている。
そのことは、この新しい体制でうまくやれるかどうか、の問題をはるかに超える意味をもつ。
ソ連体制が崩壊、ロシアが資本主義体制をとって経済再建を実現したことや、中国が改革・開放政策に踏み切り、市場経済政策に転換したことは、
その政策の成否で意味が計られるだけではすまない問題だ。
すなわち、社会主義を国家原理としてきた国が、反対の国家原理に行き着いた、という問題だからだ。
今度は、新自由主義とグローバリズムを標榜してきた資本主義のアメリカが、開発独裁や民主制の未成熟を特徴とする国の政府系ファンド、
国営エネルギー企業と協調しなければならなくなったのだ。アメリカの国家原理もまた、真反対の原理に行き着くなりゆきをみせている。
ソ連・中国の国家原理の変更は、冷戦時代の終焉という時代の変化を生み出した。ではアメリカの国家原理の転換は、どんな時代の変化を生んだのか、
あるいは生み出しつつあるのか。イラク戦争の失敗は、軍事面での一極支配の終焉を招来しつつある。
ドルの価値の低落は、ユーロの立場を強め、通貨・金融の面でもアメリカの覇権が失われようとしている。
石油供給とその価格の安定化には、他の主要産油国との協調が必至だ。食糧危機の急迫を前にして、地球温暖化対策や、水資源保護、旱魃対策なども、
もうさぼるわけにはいかない。開発途上国の怒りを買うからだ。
同様に、バイオエタノール生産を優先して食糧生産を犠牲にすることも、許されない。工業先進国は、製品輸出の収益で、石油も食糧も、まだ有利に輸入ができる。
だが、輸出する産品がなく、食糧生産も国内需要すら満たせないアジアやアフリカなどの貧しい国や、とくにそれらの国のなかの貧しい人々は、
放置できない悲惨な飢餓に直面するようになっている。
膨大な人口を抱えた中国、インドは、人間の食糧としての穀物消費だけでなく、家畜の飼料としての穀物需要も拡大させ、巨大な食糧輸入国に転じつつある。
食糧自給率の低い国は、慢性的に食糧不足あるいは輸入価格高騰の危機にさらされつづけ、波乱含みの穀物市場は、
国際投機筋のかっこうの標的と化される危険性がある。
このような状況のなか、アメリカが新自由主義とグローバリズムの立場から投機筋の暗躍を許すなら、世界中から手酷いしっぺ返しを受けることになるだろう。
アメリカはもはや、市場原理主義の国家原理を修正せざるを得ない。
金子教授は、以上のように語ったのち、世界に新しく到来するのは、多極化の時代、長くつづく不安定化の時代だ、と見通す。
アメリカの軍事、エネルギー・食糧、通貨・金融全体における一極支配的な覇権構造は崩壊、アメリカはあらゆる面で、EU、ロシア、中国、
ブラジルなどと折り合いをつけなければならない事態に直面している。
その結果、市場原理だけに委ねる問題解決に限界があれば、各国・地域が一緒になって協議し、なんらかの非市場的な原理を立て、武力紛争を回避、
多くの関係者が我慢できるかたちで、さまざまな問題の解決を図っていかなければならない時代になっていく、というのだ。
そして金子教授は、日本が心配なのは、政府も政治家の多くも、アメリカと時代がこのように変わってきているのに、そのことにお構いなしに、
従来からのアメリカ一辺倒の癖を抜け出そうとしない点だ、と喝破する。
それどころか、小泉構造改革は、アメリカの破綻しつつあった新自由主義・グローバリズムを信奉、ブッシュ政権に追随してイラク戦争に荷担し、
環境問題でも世界から非難を浴び、国内では経済・社会の歪みを拡大してきてしまった―─小泉構造改革はあらためて再検討する必要がある、と語る。
また、政治がそのような状態にあるときは、ジャーナリズムが厳しい批判を加える必要があるが、この間の日本のジャーナリズムは、
小泉構造改革をほとんど批判せずに過ごし、今もまた、アメリカの覇権の崩壊、多極化の時代への転換という現実を、
まともに直視しようとしていない―─そこに現在のメディアの危機があると、金子教授は指摘した。
強烈な印象を残したのは、「かつてのジャーナリストは、どんな問題をカバーするにしても、たとえば政府予算の費目のすべて、
国、外交、地方、農業、福祉、医療などなど、全部に頭を使うのが当たり前だった。教育がちょっと弱かったかな。
ところが、今はそういうジャーナリストがいない。フリーにはまだそういうタイプの記者がいるが、フリーには発表の場がなかなか与えられない。
ジャーナリストはそうした広い関心のもとで、いろいろな現場で事実をしっかり追ってきた。
むずかしく話すのでなく、わかりやすい事実、基礎的な情報を提供してくれるので、学者・研究者は、そうした情報を信頼してファクトを固め、
あと抽象化する仕事、理論的に考える仕事がやれた。
今はそういう当てにできるものがないので、私など、財政学が専門だが、最近は自分で問題の現場にいって、事実を直接確かめるようになった」 と、
金子教授が語ったことだ。
この日、教授の近著 『地域切り捨て 生きていけない現実』 (岩波書店。高橋正幸氏と共編) が会場に置かれ、講義終了後、販売され、売り切れとなった。
実際そこには、編著者みずからが現場に立って目撃したことが、具体的にリポートされていた。
救いは、各地の新聞社・放送局で働いている現場の記者が、金子教授の 「取材」 に協力していたことだった。
公開市民セミナー 「日本はなぜ 『対米従属』 を断ち切れないのか」 の第1回、金子教授の 「いまアメリカの変化をどうみるか」 は、
文字どおり会場に入りきれないほどの熱心な聴衆の参加を得て、盛況のうちに幕を閉じた。
以下は宣伝だが、金子教授の全体的な情勢の展望と問題の提起を受け、これからは個別テーマに即した講義がつづく。下記のとおり。
第2回 5月30日(金) 18時30分 会場:岩波セミナールーム
「対米従属の起源をたずねる 占領期における民主化と反動の葛藤」
講師:古関彰一・獨協大学教授
第3回 6月13日(金) 18時30分 会場:同上
「ナショナリズムと対米従属のねじれ 戦後保守がつくった日米関係」
講師:早野透・朝日新聞コラムニスト
第4回 6月20日(金) 18時30分 会場:同上
「経済は対米依存から脱却できたか 米国経済の傘に覆われる日本」
講師:山家悠紀夫・暮らしと経済研究室主宰
第5回 7月4日(金) 18時30分 会場:同上
「日米安保と自衛隊の変質 米国の世界戦略は日本に何を求めるか」
講師:前田哲男・沖縄大学特任教授
第6回 7月12日(土) 13時30分 会場:全水道会館 (水道橋)
<共同討論>
「日本は 『対米従属』 からの脱却と自立をいかに図るか」
今回講座講師代表とゲストがパネリスト
コーディネーター:桂敬一
参加 (有料) ご希望の方は、日本ジャーナリスト会議事務局にお問い合わせを。
(電話:03-3281-6475 ファックス:03-3291-6478)
2008.5.28
長期の支援が必要な中国・四川省の災害救助
―現地の状況は今、日本に何を求めているか―
昨夜 (18日深夜)、私の東京大学社会情報研究所 (現在の情報学環) 時代の大学院の教え子、
劉雪雁 (現在、日本のマルチメディア振興センター国際通信経済研究所勤務) さんから、中国・四川省の大地震の災害状況と、
被災地の人々の置かれた状況、被災者にはどのような救助が必要となっているか、などを伝えるメールが、届いた。
一時帰国中の中国からその日、日本に戻り、急いでまとめた報告で、その内容は、日本のマスコミが伝えるものとは、ひと味もふた味も違う。
私たちは、日本のメディアによってしか災害の状況、救援活動の概要を知ることができない。
中国政府が当初、日本の救助隊の派遣を受け入れようとしなかったこともあり、メディアはその態度を問題視する傾向をみせがちで、
私たちもその影響を被らざるを得なかった。
農薬汚染ギョーザ、チベット問題、長野・聖火リレーの騒ぎ、胡錦涛主席訪日と大きな進展がみられない東シナ海ガス油田問題などがあり、
とにかく中国は相手にするのが厄介だ、日本と違う、とするような空気をメディアが醸し出す風もうかがえた。
だが、劉雪雁さんのリポートを読むと、中国も普通の国であり、政府も当惑するような未曾有の大災害に直面すれば、
大勢の被災者が国際的な救援を必要とする点は、他の国と何一つ変わらないことが、よくわかる。
彼女は、自分のレポートを 「転送自由」 で日本の多数の市民に読んでもらいたいと述べている。
そこで今回は、以下にその全文を紹介し、皆さんに読んでいただくことにした。
劉さんは、日本語が上手なので、彼女の文中の依頼に対して答えられることがあれば、ぜひ答えを送っていただきたい。
また、救助について聞きたいことがあれば、問い合わせをしていただきたい。
また、市民的な立場から救助活動を開始している事例があれば、それも知らせてあげてほしい。
このような日中の市民的なネットワークが幾重にも結ばれれば、それは国際的な相互扶助の新しいやり方として、両国市民の経験に蓄積されていくだろう。
また、メディアにも、政府の動きや、国の建前にこだわる視点からもっと自由になり、市民の視点に立って、日本に何がやれるのか、
やるべきなのかを追求、取材・報道をいっそう活発に進めてほしいと思う。
これからは、日本では想像もできないほどの広大な地理空間のなかで、食糧・飲料水の確保、医療・防疫、生活インフラの復旧、
倒壊物などの撤去と都市的復興基盤の整備などが始められるはずだ。
都市型災害の阪神・淡路大震災、辺地・山古志村の壊滅を伴った新潟県中越地震の二つを経験した日本だ。
役に立つ支援はいろいろ考えられるはずだ。長期にわたる支援体制の検討が待ち望まれる。
(以下は、劉雪雁さんからのメール)
2008年5月18―19日
皆さま
こんにちは。劉雪雁です。
ご無沙汰している方も多いと思いますので、BCCにて失礼いたします。
5月12日に中国四川省で起きた大地震から、明日で7日目となります。
大地震の惨状は、いろいろなメディアを通じて伝わってきましたが、メディアが入っていない地域、或いは、注目されている激甚被災地以外の地域も、
被害は極めて大きく、救援が届いていなかったり、不十分だったりする地域が、まだたくさんあります。
李白の 「蜀道難」 という詩に、「蜀道難、難于上青天」 (蜀道の難きは、青天に上るよりも難し) と書かれたように、
もともと険しい山々が地震で崩れ落ちたのですから、救援の難しさは想像を絶するものがあります。今回の大地震は、本当に未曾有の災難です。
大地震発生後の2日目、14日に、私は出張で上海と寧波に行き、今日 (18日) の午後に東京に戻ってきました。
中国にいた間に、仕事の合間を縫って、携帯メールや電話で、四川と関わりのある親戚、友人と連絡を取り合い、被災地の状況、
特に今、救援物資としては何が一番必要とされているかについて、情報を集めました。
重慶出身の友人と連絡が取れました。彼女のお父さんは被災地の役人で、救援活動に当たっています。
彼女経由でお父さんに問い合わせたら、激甚地ではテントと薬品、特に破傷風抗毒素が至急必要だ、との返事が来ました。
被災地支援の命令を受けて病院に待機している外科医の友人からの返事は、現地ではふとん、テント、薬品 (特に抗生物質) が大変不足しているということでした。
15日に連絡が付いた親戚の話によりますと、大量の救援物資が成都 (四川省の省庁所在地) に集まっているが、
山間激甚地への道路が山崩れで寸断されたままであり、一番必要とする地域に救援物資が入れず、そのまま溜まっている、とのことでした。
本日 (18日)、成都から300キロを離れた青川県木魚鎮に救援隊を派遣した、マレーシアの華字新聞編集長からメールが届きました。
食糧、飲料水、医薬品、発電機などの救援物資を2台のトラックで送り届けたら、木魚鎮の住民7000人が歓声を上げたとのことです。
木魚鎮の住民にとって初めての救援物資でした。
しかし、薬品はあっという間になくなりました。抗生物質、鎮痛剤、下痢止め薬、痒み止め、睡眠薬がまだまだ不足しているとのことです。
生き埋めになった生存者の救出が気がかりですが、地震からまもなく1週間がたとうとしています。
この段階になると、生き残った被災者たち、特に負傷したり、病に倒れたり、家族を失ったりした人々にとって何が一番必要なのかが、大問題になっています。
被災地から遠く離れた日本にいる自分に何ができるかを、考えてみました。いま思いついたことは、以下の2点です。
(1) 現在、中国国内各地からはもちろん、日本も含む世界各国から、義援金と救援物資が集まってきています。
その状況を、中国メディアの報道や、現地で救援活動に参加しているボランティアたちのブログから知って思ったことは、
後日、被災地の復興にたくさんのお金が必要になりますが、今は、緊急救援物資の補給が優先されるべきだ、ということです。
現在、世界各国からの救援物資の取り扱いは、ほとんど政府ルート (中国紅十字会=赤十字のこと。半官半民の組織) で行われています。
しかし、被災地の範囲は極めて広く、窓口が中国紅十字会1箇所だけですと、人手も十分でなく、迅速に物資を送り届けることができる地域も、限られてしまいます。
政府ルートの救援はすでに稼動していますが、これと並行して民間ルートが利用できれば、緊急救援物資をより迅速に、またより広い範囲にわたって、
被災地に送り届けることができます。
民間ルートの利用には、信頼できる受け皿を選ぶ必要があります。救援活動に携わるNGOやボランティアのサイトを調べ、下記の情報を発見しました。
中国で有名なアンチウイルス・ソフトウェアの会社=北京瑞星科技有限公司は、飛行機2機をチャーターし、激甚被災地の一つである四川の綿竹市へ毎日、
救援物資を輸送しています。民間からの救援物資だけでなく、中国衛生部 (日本の厚労省に当たる) と中国紅十字会の救援物資も運んでいます。
瑞星公司のサイトには、専門の救援ページがあり (下記のリンク参照)、被災地が一番必要とする物資の情報が毎日更新され、リストとして掲載されています。
http://www.rising.com.cn/2008/helpme/index.shtml
また、寄付者リストもきちんと公開されています (下記のリンク参照)。
http://www.rising.com.cn/2008/helpme/loverlist518.shtml
私が今日 (18日)、瑞星公司の24時間緊急ホットラインに直接電話し、確認したところ、外国からの救援物資は、郵送でも貨物運送でも受け入れる、
との回答を得ました (ただし義援金は受け付けません)。
また、現時点で一番必要なのは、消炎薬、消毒液、テント (帳蓬、Zhang Peng)、ろうそく (蝋燭、La Zhu)、軍手 (線手套、Xian Shou Tao)、
マスク (Kou Zhao)、ラジオ (収音機、Shou Yin Ji)、電池です (カッコ内は中国語表記とピンイン表記です)。
瑞星公司の連絡先は以下のとおりです。
住所:中国北京市中関村大街22号中科大廈101室
電話:+86-10-82678866 内線201 (24時間対応)
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