2008.6.3

【マスメディアをどう読むか】

関東学院大学教授・日本ジャーナリスト会議
 丸山 重威
目次 連載に当たって

◎目立つ「憲法を見る目」の広がり−憲法記念日の社説
2008年5月、マスメディア概観 (1)

  2008年5月3日、憲法記念日は、いつものように護憲・改憲両派の講演会があったり、全国でさまざまな行事が行われた。
  しかし、明確だったことは、「私の政権で憲法改正を」 と叫ぶ安倍内閣のもとで、国民投票法が強行されていく事態を見詰めていた昨年のこの時期と違って、 改憲論議はやや落ち着きを見せたことだ。4月はじめの読売新聞の調査で、内容抜きの抽象的な言葉でしかないにしても、「改憲賛成」 42.5%、 「改憲反対」 43.1%と、15年ぶりに、改憲反対論が賛成論を上回ったことも、その雰囲気を示していた。
  こうした状況を反映して、ことしの各紙の社説は、「防衛・平和」 についての問題提起だけではなく、「生存権」 や 「表現の自由」 について語られたものが多かった。 「9条以外も考えてみよう」−当たり前のことだが、山陽新聞の社説のタイトルはそう書いて、「日本の将来を幅広い視点で考えてみたい」 と提起した。

  ▼憲法は9条だけではない
  在京各紙は、例によって、朝日、毎日、東京と、「改憲派」 の読売、日経、産経がくっきり違いを見せている。

  まず、「日本国憲法―現実を変える手段として」 とする朝日新聞は、「憲法は国民の権利を定めた基本法だ。その重みをいま一度かみしめたい。 人々の暮らしをどう守るのか。みなが縮こまらない社会にするにはどうしたらいいか。現実と憲法の溝の深さにたじろいではいけない。 憲法は現実を改革し、すみよい社会をつくる手段なのだ。その視点があってこそ、本物の憲法論議が生まれる」と書いた。「憲法の活用」 である。
  毎日新聞も、「『ことなかれ』 に決別を」 の見出しで、日教組の集会を断ったホテルや映画 「靖国」 の問題に触れ、「『面倒を避けたい』 と思うのは人情だ。 しかし、このとめどもない 『ことなかれ』 の連鎖はどうしたことか」 と指摘。「ダイナミックにとらえ直された 『生存権』。 その視点から現状を見れば、違憲状態が疑われることばかりではないか」 「憲法で保障された国民の権利は、沈黙では守れない。 暮らしの劣化は生存権の侵害が進んでいるということだ。憲法記念日に当たって、読者とともに政治に行動を迫っていく決意を新たにしたい」 と述べた。
  東京新聞は 「なぜ? を大切に」 と題して、「日本国憲法の規範としての力が弱まっています。現実を前に思考停止に陥ることなく、六十年前、 廃墟の中で先人が掲げた高い志を再確認しましょう」 と訴え、「忘れられた公平、平等」 「黙殺された違憲判決」 を問題にし、 「国民には 『自由と権利を不断の努力で保持する』 責任 (第十二条)、いわば砦を守る責任があります」 「その責任を果たすために、 一人ひとりが憲法と現実との関係に厳しく目を光らせ、『なぜ?』 と問い続けたいものです」 と主張した。

  地方各紙の見出しも、次のように多彩だった。
  「平和に生きる権利 今こそ」 (北海道)、「自由に物が言えますか』 (新潟)、「根付かせよう表現の自由」 (茨城)、 「人権擁護し理想の追求を」 (神奈川)、「暮らしの中から論議を起こそう」 (神戸) などと目白押しで、 信濃毎日の3つの連載社説はそれぞれ 「九条は暮らしも支える」 「生存権を確かにしたい」 「表現の自由の曲がり角」 だったし、 西日本は 「国民が 『命』 を吹き込む大切さ」 「『生存権』 が尊重される社会に」、また、沖縄タイムスは 「9条を 『国際公共財』 に」 「貧困と格差が尊厳奪う」 だった。

  ▼目立つ「生存権」と「表現の自由」
  そしてまず、目立ったのが生存権の問題だ。
  生存権の問題では、憲法25条、「格差」 の拡大から 「ワーキング・プア」、「貧困」 に触れた問題が目立った。具体的な指摘もある。
  「『最後のセーフティーネット』 であるはずの生活保護の切り下げが進む。申請窓口での選別が厳しくなり、『母子加算』 『老齢加算』 が縮減・廃止された。 老齢加算の廃止については70歳以上の受給者が憲法違反と主張して、 青森、秋田など各地の地裁に提訴して争っている」 「生活保護よりさらに低い水準に設定されているのが最低賃金制度。東北は各県とも全国平均を下回る。 その最低賃金に合わせるようにして、国は生活保護基準の引き下げを決めた」 (河北)。
  「憲法の理念とはかけ離れた社会問題もクローズアップされている。自殺者数が年間三万人を超え、子どもの虐待事件が頻発している。 若者を中心とした非正規雇用の拡大は将来にわたり格差を生み続ける不安の種であり、ワーキングプア (働く貧困層) の増加は、 『すべて国民は、健康で文化的な最低限度の−』 と生存権を定めた二五条の精神には程遠い」 (北日本)。
  「行きすぎた市場主義、能力主義が 『富めるものはますますとみ、貧しいものはなかなか浮かび上がれない社会」 (東京) が問題にされている。 こうした問題の指摘は各紙にあった。

  もう一つ目立つのが、「表現の自由」の問題でである。
  日教組の教研集会を断わり、裁判所の決定にも従わなかった 「プリンスホテル問題」 や映画 「靖国」 の上映中止をめぐる問題に言及がされている。
  「焦土から復興に立ち上がった先達の努力によって、現在の日本は自由な民主主義諸国の一角を占めるに至った。先輩たちへの感謝を忘れてはなるまい。 ところが、最近、この成果を土台から腐食させるような問題が続いている」 と書き出した神奈川は、そのトップに 「表現の自由、集会の自由の危機」 をあげた。
  「一部の映画館、ホテルが右翼団体の街頭宣伝活動などに萎縮した結果、自由が封じられた。 嫌がらせや不法行為には警察を含めて行政、社会が毅然とした態度を取るべきだ。ところが 『靖国』 の例では、 騒ぎの発端をつくったのは与党の国会議員だった」 「そこで思い出されるのが、反戦ビラ配布が狙い撃ち同然に検挙された立川反戦ビラ事件だ。 政府に批判的な表現を抑圧し、萎縮させるような権力の動きがあった」 「もし萎縮の連鎖や権力の暴走が続くようなら、 日本は戦前のような 『物言えぬ社会』 『専制と隷従、圧迫と偏狭』 の社会に戻ってしまうだろう。 国民一人一人が、表現の自由を守り抜く決意を持たなければならない」 と強調した。
  「自由にものが言えますか」 と題した新潟は 「職場や学校で不当な扱いを受けても声を上げない。おかしなことを見聞きしても 『かかわりたくない』 と口をつぐむ。 その膨大な積み重ねが 『自主規制社会』 を招いたのではないか」と問題を投げかけた。
  「いまこそ憲法理念に思いを」 という見出しの岐阜新聞は 「社会が萎縮すれば人権と民主主義は危うくなる。 公正で開かれた自由な社会を守り発展させるため、むしろ今こそ冷静に憲法を議論すべきではないか。 1年後に迫った裁判員制度を円滑にスタートさせるためにも、憲法の理念に思いを巡らせたい」 と述べている。

  ▼「冷静な論議」を呼びかけ
  改憲論の読売、日経、産経は、改憲論の読売が 「議論を休止してはならない」、日経が 「憲法改正で二院制を抜本的に見直そう」 と題して、 参院選で民主党が多数を取ったことで起きた 「ねじれ」 を問題にし、「九条」 「安保」 を避けて、「二院制の見直し」 を主張した。 ここでは唯一、産経が、4月に日本の大型タンカーが海賊に襲われた事件を上げて、「不当な暴力座視するな 海賊抑止の国際連帯参加を」 と、 「海賊も撃退できない憲法解釈がいかにおかしなものか」 と主張しているのが目立った。

  それにしても、あれだけの議論のあとだ、改憲論が叫ばれた昨年の違いに思いをいたす社は多い。 いくつかの社が、「いまこそ冷静な論議必要」 (秋田)、「冷静に論議すべきとき」 (福井)、 「じっくり論議深めたい」 (中国)といった主張が出ていることも見逃すわけにはいかないだろう。
  秋田魁は 「熱しやすく冷めやすいとでも表現すればいいのだろうか。憲法を改正するかどうかは最重要課題であり、賛成にしろ反対にしろ、 論議を歓迎すべきなのは民主主義の基本である」 「その意味で熱っぽさが収まった今こそ、冷静に議論すべき時であり、 賛成派も反対派もお互いの主張に耳を傾けることができるのではないか」 という。
  福井新聞も 「社会が萎縮していけば、人権や民主主義は危うくなっていく。公正で自由な社会を守り発展させるには、今こそ冷静に憲法を議論すべきなのだろう。 変えるべきは変える、守るべきは守る。『イエス、ノー』 をはっきり意思表示することだ。国民1人1人が自分のこととして考えたい。 拙速であってはならないが、早ければ2年後に改憲は可能という期限が切られている」 と主張した。

  そして、「平和主義を守り育てよう」 という徳島新聞も 「変えてはならないものがある。憲法の基本原則である国民主権、 平和主義、基本的人権の尊重だ」 「いずれも長い時間をかけて到達した普遍的な理念であり、価値である。 どんなに時代が変わろうとも、これを守り、より発展させていかなければならない」 と書いた。
  愛媛新聞も 「ある意味で、憲法について冷静な論議ができる時間が与えられたことになる。熱に浮かされたような改憲論議ではなく、 地に足の着いた幅広い論議が今こそ求められよう」 と主張した。

  だが、それならそれで、名古屋高裁のイラク派遣違憲判決は尊重されなければならない。愛媛新聞は続けて書く。 「気になるのは、憲法の空洞化といえる現象がますます目立つことだ。 例えば、名古屋高裁は航空自衛隊のバグダッドへの空輸活動を 『他国の武力行使と一体化し憲法九条に違反する』 と明快に認定。 この判決が確定した。にもかかわらず、政府は派遣を続けている。憲法をないがしろにするゆゆしき事態だ」―。
  また、デーリー東北もこの問題を取り上げた。
  「このところ憲法に絡む深刻な問題が相次いでいる。悲惨な歴史を背負う重い憲法を軽視する風潮が広がっているようにみえる。 憂慮せざるを得ない」 「名古屋高裁は四月、航空自衛隊がイラク・バグダッドに行っている空輸活動は憲法九条に違反すると判断した。 だが、防衛省の航空幕僚長は、この違憲判決について 『現場で活動中の隊員の心境を代弁すれば “そんなの関係ねえ” という状況だ』 と発言した。 お笑いタレントの言葉を使い、司法判断をからかった」。
  北海道新聞が言っている。
  「イラクの惨状は、武力で平和はつくれないという当たり前のことを見せつけた。軍事力に頼らず平和を目指そうとの流れが世界で生まれつつある。 平和憲法を持つ日本がその先頭に立ってもいいのではないか」―。

  その原点は譲れない。そうした国民意識の流れを定着させること。それがメディアの責任だと思う。

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  あっという間に5月が過ぎて、とうとうこの欄のための原稿は5月中には1本も書けなかった。
  「9条世界会議」 で、国際自主企画 「憲法9条とメディア」 に関わりすっかり疲れてしまった、身辺の雑事に追われ、気付きながらまとめる時間が取れなかった、 などは単なる言い訳。良くも悪くも一切の 「強制」 がない本欄執筆が後回しになった。
  しかし 「連載」 と銘打って始め、少なくとも読んでくれる読者がいる以上、こんなことは許されるはずはない。 とりあえず、空白になった5月の「マスメディア」を、順次概観し、論ずることから責任の一端を果たしたい。

2008.6.3